仲町遺跡(麻生区片平)
敷石住居に関する素人考え
新興住宅地の中に遺跡公園があり、加曽利E式期の柄鏡型敷石住居が埋納保存されています。敷石住居がどういった性格の施設であったかということは様々な見解があるようですが、以下は敷石住居に関する私の素人考えです。
多くの土偶や石棒といった出産にかかわる遺物が多く残されている縄文時代では、当然のことながら、出産という行為はきわめて重要、重大な事件だったと思います。出土遺物や遺構を見るに付け、縄文時代には祭祀そのものが、出産をメインテーマにしていたと思えてなりません。近代になっても出産をむかえた女性は一定期間母屋を離れて、産屋で生活するという風習が存在しました。石の上にも3年。という言葉があるくらい、通常の生活を石の上で送るのは困難です。人口の推移から見て、全盛期から衰退期へと進む頃に敷石を伴う住居が現れています。このころは子供の重要性が増してきた時期と考えて良いと思います。私は敷石住居は出産にかかわる特別な施設ではなかったかと考えます。