縄文早期の標式遺跡。川崎市内でもっとも有名な縄文遺跡で岡栄一、山内清男、甲野勇といった人達が調査に携わっています。地表にはまだ貝殻が散乱していますが、コンクリートで覆われている場所はかなり長い間手つかずのままほっておかれているようで、劣化も激しく崩壊は時間の問題かもしれません。
縄文時代早期から前期にかけての、いわゆる縄文海進によってこのあたりの丘のふもとはかつて海でした。多摩川の河口はその名の通りの溝の口あたりで、周辺には広大な汽水域が広がり縄文人は食料豊富なこの地域に村を作り、定住しました。その残渣が貝塚としてあちこちに残っています。いや残っていました。川崎市内では戦前から続く開発によって、それらのほとんどは人知れず、あるいはおおっぴらに破壊されました。今も残るこの子母口貝塚はとても貴重な場所です。