昭和初期に橘樹考古学会を主催していた岡栄一さんが調査を行いました。ヤマトシジミやハイガイを中心とした前期諸磯期の貝塚。もはや人目にふれることはありませんが、公園の下の窪地の地下にたい積している残土のそのまた下に貝塚が埋められていることを知る者は少ない。
 この場所から北側100bほどのところに、ほぼ同時代の久本貝塚がありましたが、こちらは戦前、戦中に溝の口周辺の水田や湿地を埋め立てるために山ごと削られてしまい、今は影も形もありません。
 近隣には新作貝塚、影向寺裏貝塚など、ほぼ同時期の貝塚が並立していて、当時としてはこのあたりはけっこう混み合っていました。
 

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末長窪台貝塚(高津区末長)