小さな祠のまわりには土器や石器のかけらが散乱
(横浜市内の某所)
古くからムコウノウカと呼ばれている川崎市中西部の丘陵地帯。そこはいわゆる多摩丘陵の最東端に位置します。隣接する東京の地区で言えば、世田谷区から町田市、稲城市に及びます。このあたりにある南向きのなだらかな丘の上の畑や造成地では、しばしば縄文土器のかけらを見つけることができます。特に近くに神社や小さな祠でもあれば発見の可能性はさらに高いと言えます。つい最近も宮前区内でたまたま通りがかった切り通しで、崖の黒土部分に埋まっていた石を引っこ抜いたら石器だったなんてことがありました。
この地域は全国でも屈指の遺跡地帯といって良いでしょう。貝塚も多く、多摩川を見下ろす丘沿いに点々と存在していました。ほとんどは開発によって失われていますが、早期の標準遺跡になっている高津区の子母口貝塚はかろうじて保存され、今でも地表に貝が散らばっています。一方同じ標準遺跡でも宮前区野川の十三菩提遺跡は、その中心部がたいした調査もされずに県営住宅になってしまいました。
公共事業と言えども正しい遺跡調査がなされるとは限らない。それが首都圏の現実です。その他川崎市内では草創期の黒川東遺跡から、後晩期の長尾下原遺跡まで多数の縄文遺跡が調査され、ストーンサークルや敷石住居なども発 見されています。