大湯環状列石といくつかのストーンサークル〜私には日時計に見えませんでした。

 大湯の環状列石で初めて日時計状遺擴と呼ばれるものを見たとき、正直私には日時計にはみえませんでした。よく言われるように、立っている石棒は男性器に、それが刺さっているサークル状の石組みは女性器に思えてしょうがありません。むしろ大方の普通の人なら男女の性の交わりを表現した造形であると見当を付けるんじゃないですか現代人にとっては性は秘め事ですが、古代の人々にとって性の営みはもっとあっけらかんとしたものだったんじゃないかと思うのです。最近は土器の型式研究といった従来の路線から離れ、より根源的な命題である、縄文時代の生活実態を探る研究も試みられ始めていますが、縄文人の性生活はどうだったのだろうかと言うことに、思いをはせないようではそれもたんなるファンタジーで終わってしまうでしょう。
 当然ながら家の中に男根をかたどった石棒を堂々と祀っている縄文人の感性を、現代人の価値観だけで卑猥だと決めつけることはできません。ではなぜそんなものが創られたのか? やはりこれは男女の性の交わりによって、死せる魂が再びこの世に誕生することを願った「魂の復活」のための装置だと思えるのです。当然 この石組みの下にはどうしても復活してもらわなければ困る「重要な人物」が葬られたと思うのです。縄文時代に明確な階層格差がなかったとしても、村のなかにそういった特別な人はやっぱり居たんでしょうね。  
 もちろんこれらの石組みは場当たり的にいいかげんな場所に創られたのではないでしょう。仮に縄文人に、人の魂 は特定の時期に特定の方向からやって来ると言うような「信仰」のようなものがあったとすれば、当然石組はその時期に魂の通り道と交差する場所でなおかつ、復活に適した神聖な場所に創られなければならなかったでしょう。
 これは単なる素人の空想にすぎません。けれどもストーンサークルの謎を考えたとき、なぜあの形なのか。なぜ人が葬られていたのか。なぜ墓地としては数が少ないのか。なぜわざわざとんでもない場所を切り開いて創られているのか。なぜ直接的な生産性を持たないものに大勢の労力を投入してしてまで創る必要が有ったのか。 といった問題を合理的に解こうとすれば、この空想もあながち的はずれとも思えないのですが・・                        

北海道斜里町朱円ストーンサークル

青森県小牧野遺跡

阿久遺跡は中部山岳地帯を代表するストーンサークルですが、今行っても看板しか見ることができない。

大湯遺跡の日時計状遺擴

昔はもっとたくさんあったという話があるそうです。

 これがたまたま残った石組みだとすれば、あまりに二至二分にこだわりすぎると本質を見失うような気がするんですが。

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結構人気のある遺跡のようですが、車を使わない人はどうやってここまで来るのだろう。


ストーンサークルのいろいろ