縄文人だって旨いものを食べたい。
 尖石遺跡(長野県茅野市)
 縄文人には味覚が有ったか無かったか。と問われれば、有ったと誰もが答えるでしょう。味覚が有る以上、旨いと感じたものを食卓の中心に置きたいと思うのが人情。山のイノシシやサルだって最近は本来彼らの主食だった山の木の実や山菜には見向きもせず、困ったことに集団で町に下りてはゴミ箱をあさったり畑を荒らしたりしています。必ずしも全ての山で彼らの食料が減ったわけではありません。山の際まで住宅地が迫ったことや、山の中に生ゴミが放置されたりの理由から、本来の彼らの主たる食物である山の味覚より、都会のゴミの方が美味しいと知ってしまったからということも大きな原因のようです。これはもはや理屈ではありません。サルもイノシシも人も、より旨いものを発見したらそれを食べ続けたいという欲求が生まれるのは当然です。縄文人にもより美味しいと感ずるものを主に食べたいという気持ちはあったと思います。中部山岳地帯から南関東地域にかけて大量出土する縄文中期の打製石斧の用途を、芋掘り具とする見方があるそうですが、山野に自生する食用可能な植物のなかでも山芋のたぐいは、特に美味しいものの部類に入るでしょう。もしかすると彼らは山芋が自生しやすいように山に手を加えていたかも知れません。現在の農村部の里山のように、縄文人も山の下草刈りぐらいはしていたんでしょう。
 しかし特定の食物を長く食の中心に据え続けると言うことは、それが手に入らなくなった時、食卓が維持出来なくなる危険性をはらんでいます。もし山芋を主食としていたならば、芋が取れなくなった時、それによって支えられていた文化は崩壊します。川も山が育てているわけですから、山が貧しくなれば川の幸もまた貧しくなります。隆盛を誇ったこの地域の村が崩壊した原因は、やはり寒冷化による“主食”の枯渇によるものなんじゃないでしょうか。
 
 

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