布施街道 道中記 布施街道の表紙に戻る
①根戸十字路から守谷まで   ➁守谷から高岡まで   ③高岡から中高津まで

③高岡から中高津(水戸街道合流点)まで

 布施街道の旅 3回目は つくばみらい市 の高岡から。 矢田部、赤塚、大角豆、天川を
通って旧水戸街道との合流点である中高津までの約15km。 田んぼや畑の中の長閑な
道であったり、大型トラックが行き交う国道であったり、旧道の位置がはっきりしないため
新興住宅地の中の整備された道を歩いたりと変化の多い道筋だ。
  街道地図

平成30年11月13日

 常磐線の取手駅からバスで40分ほど。バス停高岡で下車すると「高岡流綱火傳承之地」(左)と記された看板がある。
小張松下流と並ぶ国指定重要無形文化財の綱火は江戸時代初頭から鎮守の祭りのときに行われていた。 以来400年、この行事を中止すると地域に災いが起こると伝わり現在も伝統が守り続けられている。

 その綱火用器材が保管されているのがバス停手前の横道を入った先にある「綱火保存庫」(右)。その前に弥勒菩薩、阿弥陀如来、地蔵尊などの石仏が。造立年代が読み取れないのが残念。

 高岡流綱火は毎年8月下旬、「高岡愛宕神社」(左)の例祭に、火難と病難除け・家内安全・五穀豊穣を祈願し奉納。 神社横の広場で行われる綱火はあやつり人形と仕掛け花火を結合し、空中にめぐらした綱を操作して花火と人形を操る伝統芸能。最後は手筒と呼ばれる花火によって境内が火の海になるという。今日はひっそりと静まり返っていた。

 愛宕神社を出たすぐ先の左手、祠に納められているのは「道祖神」(右)。 
その先1~2分の高台に見える神社は金毘羅宮。

高岡の集落を過ぎたら県道3号へ入り、飯田集落を通り過ぎて常磐自動車道下のトンネルを潜り、つくば工科高校前を通って不動町に入るのだが、途中に馬頭観音や庚申塔が何基かある。
 高岡交差点の道路際に馬頭観世音道標
ひっそりと立っている。道標の文字は
 左ハ まみ阿な あらと 道
 右ハ *** いさ* * 
まみ阿な は筑波CC入口付近の狸穴だろう。
 飯田集落の外れ辺りの道路際に
馬頭観世音が。文字がカスレてかなり
読みずらい。
 つくば工科高校グラウンド脇の土手の上に
ある庚申塔は万延元年(1860)の造立。
この年は六十年に一度の庚申年。
 つくば工科高校の正門手前にあったのは
馬頭観世音

 つくば工科高校の100mほど先、道端に見落としそうなほど小さな「不動並木句碑」(左)がある。
  いらぬ 不動並木乃 春の雨     勘次郎  
かつて、ここには谷田部藩主細川興昌が城下町の形態を整えるため植樹した松並木があったそうだが、今は幾つかの切り株が道路沿いに見られるだけで往時の面影は見られない。説明板があったようだが、それも無くなっている。
 注: 勘次郎 とは毎日新聞記者を経て明治45年に衆院議員となった相島勘次郎のこと。正岡子規などに俳句を学び 「ホトトギス」 に参加。

 その先の不動前交差点先に「大渡山不動尊」(右)があるが、由緒の類が無いため詳しいことは分からない。
境内に十九夜塔、二十三夜塔、地蔵尊などの石塔・石仏が集められている。

 不動尊を出て数分歩くと見事なバラのアーチ、と思って近づくと、なんと「サザンカのアーチ」「冒頭写真」。サザンカをアーチ状に仕立てるとはなんとユニークな。その先4~5分歩くと布施街道で2軒目の長屋門が見られる。

 長屋門の斜め先に見える茅葺建物は「五角堂」(左)。正五角形という奇抜な建物を建てたのは「からくり伊賀」と呼ばれた谷田部の名主、飯塚伊賀七。内部には伊賀七が設計した日本では最大の和時計が作られ、鐘・太鼓・笛を合奏させ町内に時を知らせていたという。布施弁天のユニークな構造の鐘楼も伊賀七の設計。

 五角堂先の交差点際に「谷田部町道路元標」(右)がある。街道はここを右に曲がって行くのだがちょっと寄り道を。

 向かった先は谷田部小学校。ここは「谷田部藩陣屋跡」(左)で説明板が建てられている。谷田部藩は肥後熊本藩(細川氏五十四万石)の分家で慶長15年に下野国に茂木藩を立藩。その後谷田部に移り谷田部藩が成立した。 明治の廃藩置県後は小学校舎や郡役所として使われ、現在は矢田部小学校となっている。

 小学校対面の駐車場奥にある建物は「谷田部藩陣屋の玄関」(右)。 谷田部藩二代藩主・細川興昌(1604~1643)によって築かれた陣屋の玄関として使われていた建物を移設したもの。かつては茅葺であったといわれている。

 街道に戻り4~5分歩くと左に直角に曲がるが、ここは城下町特有の曲尺手(かねんで)だろうか。

 曲がってすぐの左奥は「八坂神社」(左)。江戸時代初期の創建と伝わる旧谷田部村の村社。本殿の彫刻が素晴らしいが塀に囲われ写真写りが悪いのが残念。本殿横のケヤキは推定樹齢300年と言われる古木。その下に大六天神社がある。

 神社を出た先を右に曲がり搦手橋を渡ると「片倉時計店の看板建築」(右)が見られる。水戸街道府中宿(現石岡市)で多く見かけたがこの辺では珍しい。登録有形文化財には指定されていないので詳しい事は分からない。

 片倉時計店の先から上り坂となり谷田部台町に入って行く。その先の県道19号を横断し、国道354号を越えると畑と住宅が混在する長閑な田舎道。今宮神社の前を通り、しばらく歩くと果樹試験場の敷地で旧道は消滅。国道408号に迂回して再び旧道へ。

 圏央道のトンネルを潜る手前に「石塔」(左)が1基。道標らしいが、文字がほとんど読み取れない状態。

 圏央道を潜り10分ほど歩いた十字路際の石塔は秩父・西国・坂東と刻まれた「百観音供養塔」(右)で、側面が道標となっている。刻まれている文字は「左やたべみち 右つくばみち」。

 さらに5分ほど歩き十字路を横断するとその先は砂利道。100mほど歩くと「馬頭観世音道標」(左)が道端にポツンと立っている。 慶応元年(1865)の造立で、「右 やたべ 左???」と刻まれているようだが左が読み取れない。

 さらに数分歩くと「道標が2基」(右)。左側は明治20年(1887)造立の馬頭観音道標で「右 ひの沢 牛久 左 土浦」と刻まれている。 右は日先大神道道標で「右 *** 左 土浦」とかろうじて読める。

 このすぐ先で国道354号に合流。合流した先は旧道がほとんど消滅状態であるためしばらく国道を歩いた後、旧道に近い裏道を通って赤塚公園へ。

  公園の国道側に「稲荷大明神」(左)が鎮座している。 由緒など無い小さな神社だが存在感の大きい神社で、稲荷前という地名や交差点名にもなっている。

 公園の中を歩いていると人を恐れない珍しい鳥に遭遇。 鶏とは違う、顔が赤いからアヒルではない。雉のような気もするがちょっと違う。帰ってから調べると「バリケン」(右)というカモ科の野バリケンを家禽化した鳥だそうだ。この周辺何カ所かに野生化したバリケンが生息しているのだとか。 珍しい鳥だね~


 この先は用水路脇の道を歩き、大角豆(ささぎ)北交差点(ササゲを地元では ささぎ と呼んでいる)を横断すると旧道が復活する。しかしこの旧道も国道まで。 国道に出たら常磐自動車道を越え、インターチェンジ進入路の先で歩道橋を渡ると旧道に入れる。

「旧道」(左)に入ると遠くに焚き火の煙が見えるではないか。なんとも長閑だね~

 数分歩くと十字路際に享保2年(1717)造立の「馬頭観音道標」(右)がある。
道標の文字は「右 やたべ 水海道 ふせ道 江戸道」 「左 あら川 うしく *** 道」

 花室川を渡り坂を上って広岡の集落を過ぎると街道際に鳥居がありその奥に「杉並木の参道」(左)が続く。この奥は慶長5年(1600)創建の鹿嶋神社。参道途中の赤い鳥居の島木に藁製の大関と記された酒桶が取り付けられているが、何のためだろうか。気になるね~

 神社を出たらその先を右へ曲がるのだが手前左側に「道標」(右)が1本。ちょっと読み取り難いが、「→中高津 下高津 ***」 と刻まれている。さりげなく立てられているので見落としそう。中高津は水戸街道との合流点。今回の旅の到着地だ。

右へ曲がって5~6分歩くと筑波研究学園専門高校前の三叉路。

 ここに道標を兼ねた「出羽三山碑」(左)が建てられている。「右*** 左***」としか読み取れないのが残念。 右側の石柱は道標らしいが文字は読み取れない。

 この先は天川団地内の直線道路を歩き、天川中央公園まで来たら左に曲がり、国道6号バイパスを陸橋で越え、土浦第四中まで来ると、その先は学校の校庭となり旧道は消滅。学校のフェンスに沿うように迂回すると旧道に復帰できる。

 フェンスの先を左に曲がり数分歩くと旧水戸街道に合流。その角に天保15年(1844)「馬頭観音道標」(右)があり、側面に「水海道 布施 関宿 流山道」と刻まれている。下にある石は「右やたべ おばり ・・・」と刻まれた道標である。

水戸街道の根戸十字路で別れた布施街道は中高津で再び水戸街道に合流。ここで布施街道の旅は終わった。この先は1時間に一本のバスでJR土浦駅へ。

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