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浜街道 道中記
絹 の 道 B
街道地図
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平成28年2月2日

 「絹の道」3回目は町田市辻から。
10分ほど歩くと東名横浜町田インターのため旧道は消滅してしまう。だが事前の調査では突き当りの 横浜4トンネル や東名高速を跨ぐ
歩道橋を使えば向うに行けるはず。 ところが、立体化工事中のため最初に潜るトンネルが閉鎖されているではないか。これは困った。

 かなり遠回りになるがガードマンに教えてもらったルートでインターの向う側へ行くことに。

 ちょっと戻って国道16号下のトンネルを潜って右に曲がり、もう一度トンネルを潜ったら左へ曲がって道なりに進み東名下のトンネルを潜ってようやく向う側へ。コメント:ここはインター周辺詳細地図を参照してください。

 卸センター入口交差点先から右側の坂道を上っていくと旧道に復帰できる。川井浄水場前から坂道を下り、国道16号の歩道橋を渡ると
その先は旧道をのんびりと。

 東名高速横浜町田ICを無事に渡り終え、旧道に入ってホットした後はテクテクと二十数分ほど歩き長源寺へ寄り道を。

 参道脇に舟形光背の六地蔵が並んでいる。江戸時代の作というほど古い感じではなく、かといって比較的最近の造立でもない。銘を見ると昭和15年(1940)とある。太平洋戦争に突入する前の年だ。

 ほどなく国道16号にぶつかるが、その左手の「神明神社」(右)は
およそ700〜800年前から旧小机領川井郷の総鎮守であったということだが詳しいことは分からない。

 神社境内の北側に道標が一本立っている。セメントでかなり修繕されているが、「左 武州都 上川井」 などの文字がかろうじて読める。

この先は丘の中腹の道をのんびりと。所々に地蔵や馬頭観音が。
・享保10年(1725)に建立された岩船地蔵は今でも地元の人達に大事にされている。
真っ赤な鳥居とお堂が街道の左奥に、何だろうか。 お堂の中に見えたのは お狐様でした。
・真新しい馬頭観音に「文政三辰四月」と刻まれている。奇特な人が新しく作り直したのだろう。
・祠の中にあったのは堅牢地神と地蔵尊

 堅牢地神のすぐ先で、前回歩いた中原街道と交差する。 東海道が開通する前は相模国と武蔵国を結ぶ重要な道路。天正18年(1590)に徳川家康が江戸入りする際に通った道だ。


 交差点際の塀の下にあったのは「都筑郡役所創設之跡碑」(右)。
石碑には明治十一年(1878)開庁と刻まれているが、翌年には横浜市港北区の川和町に移されている。

 役所跡碑の先100mほどの所にある「日蓮大菩薩塔」(左)には
文政9年(1826)の銘が。

 さらに100mほど先には「庚申塔道標」(右)が鎮座している。この庚申塔は、三猿の上に彫られているのが青面金剛ではなく如来。

 側面が道標となっているが、ちょっと変わっている指差し道標だ。
行き先だが、左側面に「此方 江戸ミち」 右側面に「此方 かな川」と。

ほどなく国道16号に合流。今宿西交差点まで来たら再び左の旧道へ。
・旧道入口にある立派な屋敷門と蔵のある家は代々続く旧家だろうか。
・その先に地蔵が2体。右の地蔵は寛文9年(1669)の造立で、地元では「目のお地蔵さん」と親しまれている。左の地蔵は宝暦8年(1758)の造立。
・小さな祠の中に双体道祖神が鎮座している。横浜市内では比較的珍しい。

旧道は再び国道16号に合流するが数分先の鶴ヶ峰本町信号で左へ入る旧道へ。

 4〜5分先の三叉路を左に入り最初の十字路を左へ曲がると薬王寺の前に「畠山重忠公戦死之地碑」(左)が建てられている。

 元久2年(1205)、急ぎ出頭せよの命に鎌倉に向かった重忠一行。
だが、この地にさしかかると数万騎の軍勢が押し寄せ、数時間の激戦のすえ重忠公は愛甲三郎季隆の矢にあたり一族郎党は玉砕。

 ここには重忠公をはじめ一族郎党134騎を埋めたと伝えられる六つの塚があり「六ツ塚」(右)と呼ばれている。薬王寺本堂前に3ヶ所、道路を挟んだ右側に3ヶ所、小さな塚が設けられている。

 薬王寺横の道を右、左と曲がりながら鶴ヶ峰神社の前を通って坂道を上っていくと鶴ヶ峰浄水場脇の「駕籠塚」(左)前に出る。

 畠山重忠公合戦の報を聞いた内室の「菊の前」は急ぎ駆けつけたが
この地で重忠戦死を聞き、悲しみのあまり自害。 その場所に駕籠ごと
埋葬されたのだという。

 ちょっと遠いが坂を下って旭区役所の裏にある「首塚」(右)まで行くことに。重忠公の首が葬られた場所と云われている。近くに、首を洗い清めたという井戸もあったそうだが、現在は無くなっている。

元来た道を戻り、今度は浄水場の東側の道を上っていく。

 鶴ヶ峰浄水場で分断された街道の東側まで上ると「素晴らしい眺望」(左)が待っていた。みなとみらい21のランドマークタワーが見える。

 旧道ルートがはっきりしないが、この先の鶴ヶ峰坂の頂上がここなので、旧道は浄水場の中を通っていたのではないだろうか。

 この先の下り坂を白根交差点の手前まで下ると「鶴ヶ峰坂」(右)と
記された標柱が建てられている。説明書きによると「長さ二町(218m)の急坂で旧八王子街道の難所であった」とある。
  コメント:この辺りでは八王子へ向かう街道、つまり「八王子街道」と呼ばれていた。

 国道16号の白根交差点を横断し旧道を進むと途中にちょっとした脇道が。そちらの道に入ると地神塔と馬頭観音があるではないか。
この脇道は旧道の中の旧道だったのだ。  この先で国道16号に合流したら、ちょっと遠いが「白根不動堂」(左下)に寄道を。

 前9年の役(1053〜1062)の際、八幡太郎義家は兜の内に不動明王座像を納めて奥州に向かい勝利。このことに報いるため康平6年(1063)に社殿を建立し坐像を祀ったのが不動堂の起源だという。

 
 不動堂の左手数分の所にあったのは「白糸の滝」(右)。 かつては
横浜市内最大の滝だったそうだが、平成2年(1990)に護岸改修工事が行われホテルの庭園滝のようになってしまったのが残念。
 

滝の手前にある「万葉歌碑」(左下)には万葉集巻二十に納められた防人とその妻の歌が刻まれている。

   我が行の息衡くしかば足柄の峰延ほ雲と見とと偲ばね
私の旅が嘆かれてならないなら、足柄の峰にかかる雲を見ながら私を偲んでおくれ

  わが夫を筑紫へ遣りてうつくしみ帯は解かななあやにかも寝も
私の夫を筑紫へ送り出して、いとしさに帯を解かずに心乱れて寝ることであろうか。

 万葉歌碑脇の白糸の滝橋を渡り坂道を上ると「白根神社」(右)に
到着する。不動堂の別当職白滝山正願寺が明治初年に廃寺となり
白根神社となったもの。元々は不動堂本堂であった場所。

 白根不動から国道16号まで戻ると旧道の入口に「不動道入口」の標柱が立てられ、その後ろに「道しるべ不動」(左)がある。、台座に行き先が刻まれているのだが、今は「右」だけがかろうじて読める状態。

 道しるべ不動の前で国道に合流した街道はすぐに左側の細い坂道を上っていく。

上り坂の入口にあったのは「白根村道橋改修碑」(右)。江戸の住人櫻井茂左衛門は供養のため田地を買収し破損した橋を改修。往来の難儀を救ったという。この碑は元文4年(1739)に建立されたもの。
コメント:先ほど旧道から国道16号に合流したが、その延長上に旧道が残されている。旧道にこだわる場合は国道から階段を下り、橋を渡って川沿いに歩くと旧道に入れる。

細い坂道を上り、次に下って下白根交差点に向かう道路を横断したら人専用の小さな橋を渡り、その先10分弱歩くと国道16号に合流。

 国道を横断し、相鉄線の踏切を渡り、西谷商店街に入ると、左側奥のマンション前に鎮座しているのは「西谷不動尊明王」(左)。

 比較的新しいお堂の中に納まっているお不動様は石造りで寛永3年(1791)の造立。泥棒が多発した村内の泥棒除けとして祀ったのだとか。

 商店街を抜け国道16号を横断したら妙福寺に寄道を。
山門脇の 「題目塔」(右) は享保10年(1725)に本堂裏の山の中腹に
建立されたものだが、嘉永2年(1849)に現在地に移設。

妙福寺の先から左に上る細い道が旧道でしばらくは道成りに。

 細い上り坂に入ってすぐの左側に「庚申塔」(左)が1基。元禄10年(1697)の建立で300年も前のものだが、文字はしっかりと読み取ることが出来る。


 道成りに数分歩くと比較的新しい石仏の後ろに寛政3年(1791)建立の「堅牢地神」(右)がある。道標を兼ねており、側面に刻まれている行き先は「左神奈川」「右八王子」。

 さらに数分先の正観寺は後北条家の家臣で小机衆として勢力があった中田加賀守の菩提を弔うために開山・創建したと伝わる。 境内奥の「観音堂」(左)は、小机領三十三観音霊場第五番目の札所。


 正観寺から数分、比較的最近建てられた「旧八王子道道標」(右)には 「至 八王子」 「至 保土ヶ谷 鎌倉道」 とある。

 旧八王子道道標の20mほど先を左に曲がった所にかなり風化した「庚申塔」(左)が1基。建立は文化8年(1811)

 旧道はこの先で環状2号道路に突き当り寸断。ちょっと回り道して向う側へ渡り、その先で国道へ合流する。

 国道脇に杉山神社があるのでちょっと寄り道を。杉山神社は武蔵国の都筑郡・橘樹郡に多い神社だが、調べてみると保土ヶ谷区もかつては都筑郡であった。

 杉山神社の鳥居脇にある「堅牢地神宮」(左)は寛政4年(1792)の建立だが、「地神宮」となっているのがいままでと違う。

 この先に旧道が残っているのだが、一部消滅状態。神社境内の右側を進むと消滅しかかった旧道に入り、数分歩くと国道に合流する。

 「双体道祖神・庚申塔・堅牢神塔」(右)がちょっと奥まった所に静かに佇んでいる。双体道祖神は明和2年(1765)の建立だが、左右同姿となっているのがいままでとちょっと違う。

すぐ先に相模線・上星川駅があるので今回はここまで。次回はシルク博物館まで歩き「絹の道」を完歩だ。

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