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源頼朝が鎌倉に幕府を開いた最大の理由は三方を山に囲まれ前は海という天然の要害であったこと。 だが人々の往来や物資の運搬にはこれが最大の障害となった。そこで鎌倉幕府は七方向に切通しを作り陸路の確保を行ったが、これを「鎌倉七口」・「七切通し」と呼んでいる。
七切通しの中でも往時の姿を最もよく残しているのが朝夷奈(あさいな)切通 し。この道は金沢八景の瀬戸神社前から鶴岡八幡宮前までで、六浦湊に荷揚げされた物資の運搬に利用されたことから六浦道と呼ばれていた。(現在は金沢街道と呼ばれている) 朝夷奈切通しの道は、県道金沢・鎌倉線が出来る昭和31年(1956)までは東京湾側から鎌倉に入るための重要な道路であった。 |
街道地図 |