川越街道 道中記
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下練馬宿                                   街道地図
しもねりまじゅく
 下練馬宿は江戸側から下宿 ・中宿 ・上宿の3宿で構成され、本陣、脇本陣、問屋場がそろった宿場である。
この街道を参勤交代で利用する大名は川越藩だけであったが 鷹狩りに行く大名や 大山詣 ・秩父巡礼の旅人
などで結構賑わっていた。
 残念ながら本陣・脇本陣の跡地はビルが建てられたりして往時を示す遺構や表示の類は何も無い。
平尾追分上板橋宿下練馬宿白子宿膝折宿大和田宿大井宿川越城御殿小江戸川越
 平成25年4月1日
 
  上板橋宿を出て国道254号(現川越街道)を20分ほど歩き「再び旧道に」(左)入ると、その先は下練馬宿。 この辺りはうまい具合に宿場を避けて国道を作ってくれたようだ。

 旧道に入る前にちょっと寄り道を。国道を真っ直ぐ進むと中央分離帯に「五本けやき」(右)と呼ばれる大木がそびえている。

 この辺りは飯島弥十郎家の屋敷林であったが国道のために敷地を提供した飯島家の強い要望もあって、この木を避けて道路工事が行われたという。時は昭和14年(1939)であった。

 ちょっと戻って旧川越街道に入ると、そこは上板南口商店街。

 その商店街の一角に「子育地蔵」(左)と書かれた赤い提灯が下がっている。 明治初年にここへ移されたという2体の地蔵は貞亨5年(1688)と安永6年(1777)に造立されたもの。

 商店街が疎らになった辺りに昔懐かしい「お米屋さん」(右)がある。店主の野瀬さんによると明治の中頃からこの地で商売をしており建物は大正2年(1913)に建てられたのだとか。

 野瀬米店の先を右に入った奥の三叉路ど真ん中に文化12年(1815)造立の「馬頭観音」(左)が鎮座している。交通事故に遭ったりしたこともあったそうだが今でも近隣住民に大切にされているそうだ。

 街道に戻ると僅かな区間だが「レトロな商店」(右)があり街道時代の雰囲気をちょっとだけ感じることができる。旧川越街道はその先で環八通りのトンネル上を通って北一商店街へと入っていく。

 環八通りのトンネル上に「大山道道標と東高野山道道標」(上左)が据えられている。上に不動明王を乗せた大山道道標は宝暦3年(1753)に建てられたもの。東高野山道道標は紀伊の高野山を模して建てられた長命寺への 道しるべ だそうだ。ちなみに、この道標は環八通りの工事に伴ってここへ移設されたのである。

 脇本陣内田家の末裔の方から伺った話では大山道道標の先辺りが下練馬宿の中心で道標のすぐ先右手一帯が「脇本陣跡」(上中)、その先のスーパー・ユータカラヤ「木下本陣跡」(上中)、対面の新和商店の辺りが島野家が務めた「問屋場跡」(上右)であったそうだ。 この3ヶ所は表示や説明板の類が無いため、内田家の方にお会いできなかったら通り過ぎていただろう。

 ちょっと寄り道を。北町病院脇を左に曲がった先に「徳川綱吉御殿跡碑」(左)が。この場所は後に徳川幕府五代将軍となった綱吉が寛文年間にこの地を鷹場とし鷹場御殿を建てた地である。

 街道に戻り1〜2分、右奥に「浅間神社」(右)が見える。由緒が無いので詳しいことは分からないが隣に溶岩を積み上げた富士塚が築かれていることから、かつては多くの参拝者を集めた神社なのだろう。

 

 数分歩いた先の「北町観音堂」(左)には天和2年(1862)銘の聖観音坐像が収められている。台座を含めて全高270pという高さの石造は国内最大だという。

 手前の門には天和3年(1863)銘の仁王像が鎮座しているが石造とは珍しい。 仁王らしからぬちょっと愛嬌あるお姿がユーモラスだ。

 観音堂外の海鼠壁前に「北町の石仏群」(右)が。 各所から集めたものだと思われるが手入れが行き届き花が添えられカップ酒?も置かれている。幸せな仏様だ。

 さらに1〜2分歩いた先の交差点際は「大木家本陣跡」(左)。当初は木下家が本陣を務めていたが、なんらかの理由で没落し大木家が引きついたようだ。

 本陣跡の前に練馬宿解説板が立てられているが、その中に「殿様に大根を献上」(右)する挿絵が。はてこの殿様は。

 五代将軍綱吉が将軍になる前、脚気にかかったとき大根が脚気に効くことを知り、百姓金兵衛に大根を作らせその大根を食べたところ脚気が治ったという。将軍になった綱吉は金兵衛に大根を献上させ大名に振舞ったことから練馬大根がたちまち日本中に知れ渡ったのだという。

 4〜5分歩き消防署先の左側路地を入ると、かなり風化した「馬頭観音」(左)が見られる。ここは「捨て場」と呼ばれ死んだ馬や牛を捨てた場所なのだそうだ。馬を弔うために建てたのだろう。

 旧街道はほどなく国道254号(現川越街道)に合流するが合流点の国道向こう側に石塔が見える。何の石塔だろうか。

 「庚申塚」(右)と刻まれた立派なものであったが国道の工事でここへ移されたのだろう。忘れ去られたようにポツンと立っているのがちょっと寂しげでる。

 この先しばらくは国道を歩くのだが10分ほど歩いた所の地下鉄・赤塚駅出入り口に「鎌倉古道道標」(左)が。 いざ鎌倉の騎馬武者像が乗った台座部分に『 鎌倉古道 至かまくら 至はやせ 』と記されている。

鎌倉街道も魅力あるが今は川越街道の旅、写真だけ撮って次ぎへ。

 緩い下り坂を下っていくと「小治兵衛窪庚申尊」(右)が祀られている。説明書きによると天明3年(1783)に造立されたようだが3猿の上に乗る青面金剛は坐像という珍しい庚申様だ。

 しばらく国道254号を歩き新田坂を下ると次ぎの宿場『白子宿』が近い。

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