川越街道 道中記
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小江戸川越  .                               街道地図
江戸からおよそ11里の川越は周辺から集めた農産物を舟運で江戸に運び、帰り舟で雑貨・小間物とともに
江戸文化を持ち帰ったことから早くから小江戸と呼ばれ 「世に小京都は数あれど小江戸は川越ばかりなり」と
謡われていた。その小江戸も明治26年(1893)の大火で町並みのほとんどを焼失。ところが蔵造りの建物だけは
焼け残ったことから舟運で財を築いた富商たちが 「ならば火事に強い街づくりを」と土蔵造りの見世蔵で町並みを
造り上げたのであった。
平尾追分上板橋宿下練馬宿白子宿膝折宿大和田宿大井宿川越城御殿小江戸川越
 平成25年5月17日
 
川越城本丸御殿から大手門跡まで戻ったら真っ直ぐ次ぎの交差点まで歩くと そこは「札の辻」(左)。ここから仲町交差点までの400メートル区間に蔵造りの商家が軒を連ねる。

町並みに入るとさっそく見世蔵が並ぶが ひときわ目を引くのが国重要文化財に指定されている「大沢家住宅」(右)。

豪商近江屋半右衛門によって寛政4年(1792)に建てられた土蔵造りの店は明治の大火にも無事だったことから、その後、多くの商人たちが土蔵造りの店を建てるきっかけとなった建物である。

大沢家住宅の隣、ちょっと小ぶりだが思わず写真に撮りたくなる見世蔵は笛木醤油が建てた「平成の蔵」(左)。年代を経た蔵に見えるが、なんと、平成に入ってから建てられたのだそうだ。

江戸時代の蔵 と 平成時代の蔵 が並んでいるという滅多にみられない貴重な風景。

斜め前の見世蔵は平成15年(2003)に開館した「祭り会館」(右)。重要無形民族文化財に指定され、関東三大祭りの一つである川越祭りの資料が展示されているので一見の価値あり。もちろん山車も。

すぐ先を右に入った奥に銀杏の大木ががそびえているが ここは「養寿院」(左)。鎌倉時代の寛元2年(1244)開基という古刹。「かわごえ」という地名の由来となった河越太郎重頼の墓がある。

養寿院の塀にそって歩くと なにやら賑やかな町並みが。ここは「菓子屋横丁」(右)と呼ばれる一角。

養寿院の門前町として賑わったこの辺りで鈴木藤左衛門なる人物が明治の始め頃に駄菓子を製造・販売したのが始まり。最盛期には及ばないが軒を並べる駄菓子屋は今も二十数軒。

菓子屋横丁を通り抜け、バス通りを渡った先の神社は六塚稲荷神社。裏に回ると文政2年(1819)に建立された立派な「本殿」(左)が見られる。これだけ立派な本殿に覆屋が無いとはもったいない。

蔵の街商店街に戻るとすぐ先は「蔵造り資料館」(右)。 煙草卸問屋であった小山文蔵が大火直後に建てた見世蔵で一時は解体の危機に見舞われたが今は奥の蔵も含め見学可能。

「時の鐘入口」信号を左に曲がった先にそびえているのは小江戸川越のシンボル「時の鐘」(左)。

最初に建設されたのは江戸時代初期、川越藩主であった酒井忠勝の頃(1627〜34)であった。現在の櫓は明治の大火翌年に建設されたもので高さ16m。

時の鐘の下を潜ると、正面に「薬師神社」(右)が鎮座。創建当時は常蓮寺という寺院であったが明治の神仏分離令で薬師神社になってしまったという。

川越には稲荷神社が多いが長喜院境内の「雪塚稲荷神社」(左)には怖〜い伝説が。

ある大雪の夜、南町に一匹の白狐が現れた。これを見た若い衆が白狐を追い回しついに打ち殺し、挙句、その肉を食べてしまったという。ところがたちまち熱病にかかり町には火の玉が。恐れた町民は塚を築き皮と骨を埋め弔ったのだそうだ。

蔵の街に似合わない鉄筋3階建てルネッサンス様式の建物は「旧八十五銀行」(右)。(現埼玉リソナ銀行) 大正7年(1918)に建てられたもので国登録有形文化財。

旧八十五銀行のちょっと先、左奥の法善寺に酒樽に腰掛け酒杯を持った武士の石像が。その名を「虫食い奴」(左)と言う。

松平信綱が川越藩主だった時代、槍持ち(俗に奴)だった瀬川嘉右衛門なる大酒飲みが俎板の上にあるものは何でも食べ虫まで食したという。嘉右衛門は生前に自身の石像を彫り法善寺に納めたのだそうだ。

ちょっと先のルネッサンス様式3階建ては 「旧山吉デパート(右)。 昭和11年(1936)、埼玉県に初めてできた高級百貨店であったが昭和26年(1951)に閉店。現在は歯科医院などに使われている。

旧山吉デパートの対面にある蔵造り店舗は旧川越藩御用達の高級和菓子店「亀屋」(左)。創業が天明3年(1783)という老舗。思わずカメラを向けたくなる黒漆喰の蔵造りは明治の大火直後に建てられたもの。

川越には国登録有形文化財の銀行建物がもう1棟ある。
現在は川越商工会議所となっている「旧武州銀行川越支店」(右)で建てられたのは昭和3年(1928)

蔵造りの町並みは亀屋がある仲町交差点までで、その先はごく普通の商店街。ところがちょっと面白い町並みがあったのだ。旧武州銀行の手前を右に曲がると大正から昭和初期にかけての看板建築などが並んだ商店街が続くがここは 大正浪漫夢通り

ということで、看板建築の一部を写真で。

仲町交差点まで戻り、数分歩いた右奥は天文18年(1549)創建の蓮馨寺。徳川家より葵の御紋が許された寺院で川越藩主でも門前を通るときは槍や幡(はた)を倒し目礼したそうだ。

本堂(呑龍堂)は大正初期の建築だが左手の「水舎」(左)は明治の大火にも焼けずに残ったもので、龍の彫り物が素晴らしい。

蓮馨寺を出た反対側は「おくまんさま」と呼ばれて親しまれる「熊野神社」(左)。天正18年(1590)に紀州熊野より勧請したとされている。境内の宝池に銭洗い弁天が祀られていました。

この先は蓮雀町交差点を通って帰路に。見所の多い川越街道であった。

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