木下街道道中記 木下街道の表紙へ戻る

木下宿きおろしじゅく                            街道地図
  「利根川図志」という本の中に『昔この地わずかに十軒ばかりなりしが、寛文のころ、この処に旅客の
行舟を設けたるに因りて、甚だ繁栄の地と為れり。』 とある。 最盛期には年間4500艘もの出船が見られ、
50軒余りの旅籠や飲食店があったそうだが、明治34年に鉄道が開通すると町並みが木下駅周辺に移り、
河岸の役割が終わった。
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 平成25年2月16日

 木下街道は、旧大森宿から坂を下って国道356号を横断し、「旧道」(左)の細い道へと入っていく。しかし数分歩くと旧道は消滅。 工場脇を迂回して再び旧道へ。

 再度旧道へ入って5分ほど歩くと、多数の石塔がある広場の奥に「上町観音堂」(右)が見える。

 祀られているのは永仁5年(1297)の作である銅造十一面観音立像。 鎌倉時代から地元の人たちに大事に守られてきた仏像は千葉県指定有形文化財。

 街道は観音堂の前から左に曲がっていくのだが、ちょっと寄り道を。 右に曲って5〜6分歩くと国指定天然記念物の「木下貝層」(左)が見られる。

 この貝層は12〜3万年前の地層で、その頃は「古東京湾」と呼ばれる内湾がこの辺りまで広がっており、波浪や潮流で貝殻が集められ堆積したもの。

 街道に戻りJRの踏切りを渡ると懐かしいポストに遭遇。正式名称を「郵便差出箱1号丸型」(右)というそうだ。


 ほどなく「かべとう」(左)が見えたのでさっそく名物の最中『坂東太郎』を買おうと思ったら、閉店。明治時代から続く老舗だったのだが、「店主高齢のため平成24年12月31日で廃業」と書かれた張り紙が。残念!

  かべとう の斜め先は創業150年(柏屋ホームページから)という「蕎麦店・柏屋」(右)。建物は大正時代の建築だとか。 現在の当主は6代目だそうです。時間が許せば蕎麦を食べたかったのだが、残念!

 数分歩いた右奥は「山根山不動尊」(左)。江戸時代から北向き不動尊として人々の信仰を集めたお不動様であるが、平成21年(2009)に不審火で堂宇が焼失。残念だね〜

 街道に戻ると、目の前に江戸時代には旅籠であった「銚子屋」(右)が今も料理旅館として頑張っている。

 木下河岸最盛期には50軒余の旅籠や店が並び大変賑わっていたのだが、今は静かな街並みになってしまった。

 銚子屋の先、奥まった所に明治24年(1891)建築の「吉岡家土蔵」(左)が見える。江戸時代に舟問屋を営んでいた吉岡家は明治に入ると5隻の蒸気船で東京までの直行便を運行していたという豪商。

 吉岡家の裏庭(JR成田線の線路際の更地)に行くと、貝化石で作られたという珍しい雪見灯籠が見られる。

 吉岡家対面の蔵は明治8年(1875)建築で明治43年(1910)に現在地へ移築した「二見屋の板蔵」(右)である。ちなみに二見屋は屋号で、吉岡家の分家だそうだ。
 吉岡家土蔵と二見屋板倉は『まちかど博物館』として毎月第一土曜日に一般に公開しているが、今日は第三土曜日、またまた残念。・コメント:「木下まち育て塾」というHPで「まちかど博物館」を含む木下宿の情報が得られます。いよいよ今回の旅の目的地へ向う事に。銚子屋の少し手前を左に入ると利根川の堤防が目の前に見える。

 堤防の上に「木下河岸跡」(左)の説明板が。ついに木下街道の終着です。

 説明板によると、明暦(1655〜57)の頃から河岸として発達。文化・文政期(1804〜29)には「寺社参詣客や鮮魚輸送で大変な賑わい」(右)となった。

 特に利根川を下って香取・鹿島・息栖の三社へ参詣し、銚子の磯巡りを楽しむといった木下茶舟が江戸町民の人気を集めたそうで、その様子が説明板の裏に描かれている(右)。

 『木下河岸跡』で旅は終わったが、帰りの木下駅に向う途中にちょっと寄り道を。

 利根川を上流方向にしばらく歩くと「干拓稲荷大明神」(左)がある。明治23年(1890)の利根川大洪水で埋没した御神体が、昭和30年(1955)、手賀沼排水機場建設の際発見され、ここに祀ったのだとか。

 木下駅入口を通り過ぎて数分、道路際の古民家は国登録有形文化財の「岩井家住宅」(右)。江戸時代から明治にかけて木下河岸で武蔵屋という屋号で旅籠を営んでいたという。

 何故ここに。  明治末から始まった利根川の堤防改修工事に伴い、現在地に移築したのだそうだ。

 木下街道は参勤交代に使われた街道ではないので、本陣・脇本陣や問屋場は無いが、歴史ある遺構・遺跡が多く、楽しく歩く事ができた。

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