水戸街道道中記 水戸街道の表紙に戻る
(10)荒川沖宿あらかわおきじゅく               街道地図
 荒川沖宿は正規の宿場であったが本陣は置かれず、公用荷物の次ぎ立ても牛久宿までの片次ぎ
という変則的な宿場であった。おやっと思うのが地名
。近くを流れる乙戸(おっと)川がよく氾濫するため
「荒れ川」と呼ばれていたが、その流域の村を荒川村と呼んでおり、その荒川村から見ると、氾濫した
水辺の沖に見えることから「荒川沖」となったのだそうだ。

 平成23年4月25日

 牛久を出てかれこれ1時間、樹齢250年というスダジイの巨木を眺め、縛られ地蔵にお参りし、小野川橋を渡り、 ひたち野牛久駅前を通り過ぎて到着したところは「荒川沖一里塚」(左)。

 ここの一里塚は左右とも現存しているという貴重な一里塚。水戸に向って左側が荒川沖一里塚(土浦市)であるが、右側は「中根一里塚」(右)(牛久市)と称している。左右で塚名が異なるとは紛らわしい。

味気ない国道を1時間以上歩いてきたのでちょっと休憩がてら寄り道を、と向った先は「妙向寺」(左下)。

 ここは山門の前が常磐線の踏切りというなんとも殺風景なながめ。

 ところが山門をくぐると見事に手入れされた庭を眺めることができるので庭の端に置かれたベンチで一休み。

 街道に戻り数分先のY字路を旧道の方に入ると右奥に八幡神社と神明神社が合祀された「鞘(さや)堂」(右)が見える。堂の中には神輿のような可愛らしい神社が並んで鎮座しているのが微笑ましい。

 街道に戻るとすぐ先の荒川橋を渡るのだが、この下は荒川沖という地名にもなった「荒れ川」の「乙戸川」(左)。今は小川程度の流れしかないがかつてはよく氾濫する困った川だったようだ。

 この先から荒川沖宿になるのだが暫くはごくごく普通の町並み。

 ほどなく「黒板塀に屋敷門の立派なお屋敷」(右)が。ようやく旧街道の雰囲気を感じることができるようになってきた。

 お屋敷手前の細い路地を入った奥にある「姫宮神社」(左)は祭神が想像できるが、案の定、木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)であった。創建は天平神護年間(730頃)というから長い歴史をもつ神社である。

 街道に戻るとすぐ先の左側に「天満神社」(右)が鎮座している。 祭神は想像するまでもなく菅原道真だが、この神社の創建は正徳元年(1711)というから300年ほど前。

 数分歩くと萱葺き屋根の古民家が見えるがここは「旧旅籠佐野屋」(左)。当宿には松屋、おきな屋など数軒の旅籠があったが佐野屋の建物は今も現役の住居(旅館ではない)として使われている。

 佐野屋の100mほど先に萱葺き屋根の古民家がもう一軒ある。こちらは「鶴町たばこ店」(右)。平成16年(2004)に屋根の葺き直しが行われたそうなのでこれから数十年はこの姿が見られそうだ。

 鶴町たばこ店のわずか先に「日先(ひのさき)大神道」(左)と刻まれた小さな道標がひっそりと立っている。日先神社は源頼義・義家(八幡太郎)父子に絡む由緒ある神社だが、ちょっと遠いのでまたの機会に。

 街道を少し戻ってJR荒川沖駅に寄り道を。西口ロータリーの中に「河合曽良句碑」(右)が建てられている。元禄年間(1700頃)、土浦地方を訪れた際、荒川沖付近の風景を発句したものだそうだ。

  風吹けば 残る尾花の波立ちて げに荒川と見るべかりけり  曽良

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