水戸街道道中記 水戸街道の表紙に戻る
(20)水戸城下                         街道地図
 千住宿で日光街道と別れた水戸街道は29里19町(約116km)を経て水戸に到着。街道はこの先も続き、
今度は仙台へ向う岩城・相馬街道
(明治以降は陸前浜街道)の起点となる。 水戸の街道筋には往時の面影が
あまり感じられないが、水戸藩初代藩主の徳川頼房公が作らせた備前堀は今も現役で活躍し新水戸八景の
一つに選ばれ往時を偲ばせてくれる。
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 平成23年11月1日

 長岡宿を出た水戸街道は国道6号に合流、北関東自動車道のインターチェンジを越えると「ついに水戸市」(左)。水戸市に入ったら今度は左の旧道に入っていく。

 熱田神社、天神社などを見ながら旧道を40〜50分、到着したところは「元吉田一里塚」(右)。かつて水戸街道を歩かれた方の紀行文には左右とも現存と記されているが左側が見つからない。

 一里塚の説明板にも「道の片側のみであるが・・・」と記されている。???。

 国道50号のバイパスを越えて7〜8分、三叉路の真ん中に馬頭観音ならぬ「馬牛頭観世音」(左)が鎮座している。数多の馬頭観音を見てきたが「馬牛」は初めてだ。

 この三叉路を左に入り10分ほど歩いたらちょっと寄り道を。

 交差点を渡らず右へ5〜6分、江戸時代に建てられたという萱葺きの建物は旧吉田村の庄屋であった「綿引家住宅」(右)。さすが立派な建物だ。

 次ぎに目指すは水戸の古刹薬王院。大同2年(870)、桓武天皇の勅願により開山したと伝えられている。

 参道を入ると突き当たりに、県の重要文化財となっている貞享年間(1684〜1688)に建てられた萱葺きの「仁王門」(左)が見える。

 仁王門の脇を入った右側の「五輪塔」(左)は、4歳で早逝した初代藩主徳川頼房公の次男・松平亀千代丸供養のために建立されたもの。

 境内をさらに奥まで歩くと、室町時代に建立された「薬王院本堂」(右)が見られる。享禄2年(1529)、領主江戸道秦の援助で再建された本堂は何度か大きな修理が行われているが、室町期の建物としては関東随一のものだそうだ。

 街道に戻ると数分先に 「神楽屋敷跡碑」(左) が。
日本三大神楽の一つ水戸大神楽が発祥した地で、後に足黒村(現茨城町)の宮内氏に代譲りし現在は柳貴家正楽家が継承。

 もう少し先まで歩くと五差路に差し掛かるがその先は藤柄坂で江戸時代から「男坂と女坂」(右)の2本のルートがある。神社などではよく見かけるが、街道では珍しい。

 ちなみに、真ん中の道路は新道と呼ばれ、昭和15年(1940)に開設された陸軍航空通信学校の軍用道路。

 坂を下った先の「吉田神社参道」(左)は長い上り階段。この階段が疲れた足に応える。

 「吉田神社」(右)の歴史は古く神社の古文書に『正安4年(1301)は創建以来800余年』と記されているそうだ。伊勢神宮には遠く及ばないが、それでも古墳時代まで遡ることに。

 当社には日本武尊伝説も残されている。尊が東夷平定の帰途この地に宿営したと伝わっており、翌朝、すがすがし朝日をご覧になったので朝日山と呼ばれ聖地に。祭神として日本武尊を祀っている。

 吉田神社を出ると水戸街道の終着も、もう間もなく。

 街道際に「金刀比羅神社」(左)があったが、ここには狛犬ならぬ狛兎が。中山道浦和宿の調(つき)神社は狛兎であったが、ここにも狛兎がいたとは。

 金刀比羅神社のすぐ先は新水戸八景の一つである「備前堀」(右)。 徳川頼房が灌漑用水と千波湖の氾濫対策として関東郡代の伊那備前守忠次に命じて築かせた用水で今も現役。

 備前堀の向こうに見える橋が鞘魂(たまげ)で、水戸街道はここを渡っていく。

 橋を渡ると左手に「江戸街道起点碑」(左)が建てられている。ついに水戸街道踏破。(江戸に向う街道なので地元では江戸街道と呼ぶ)

 橋の反対側に行くと「銷魂橋 高札場跡」(右)と刻まれた碑が建てられているが、ここは城下の出入り口で大木戸があった場所。ここから水戸城下となる。

 変わった名前の橋だが、元禄3年(1690) 水戸光圀公は木戸を去る人々が別れ泣き悲しみ魂を消す という意味から、元の七軒町橋を 銷魂橋(消魂橋)に改めたという。 

 水戸街道歩きは終わってしまったが、もう少し先の岩城・相馬街道の起点まで歩いてみようと思う。


 銷魂橋を渡ったら真っ直ぐ2〜3分、「 旧本一町目・江戸へ三十里」(左)と刻まれた道標が目に入る。この三叉路を右に曲がると「ハミングロード」(右)に入っていくが、この先は旧水戸宿の中心街。

 初代藩主徳川頼房公は城の東側一帯を埋め立て商人町を形成。ここには本陣、脇本陣、旅籠も置かれ大変な賑わいであった。しかし戦災で江戸時代の面影は全て灰の中に。

 ハミングロードを4〜5分歩くと「竜頭共用栓」(左)が見られる。

 この一帯は湿地であったため良い水を得るのに苦労していたが、2代藩主光圀が笠原不動谷の湧水を水源とする笠原水道を敷設。庶民の水からの苦労を救ったという。この栓は明治時代の復元品。

 共用栓の先に「江戸(水戸)街道宿場跡碑」(右)が建てられている。この辺りが宿場の中心で諸大名をはじめ多くの旅人が行き交い、もっとも賑やかな繁華街であったそうだ。

 宿場跡碑から数分、県道との交差点に「旧本四町目 ・ 陸前浜街道起点」(左)と刻まれた道標が建てられている。ここからは旧岩城・相馬街道となり奥州街道岩沼宿を経て仙台まで。

 水戸街道の旅はここで終わりとなった。

 せっかくだから水戸の土産をと向った先は交差点を左に曲がった「油屋老舗」(右)。創業は天保元年(1830)という老舗。季節の花や果物を模した練り切りが事のほか美味い。

 水戸まで来たのだからとタクシーで偕楽園へ。第九代藩主徳川斉昭によって造園された庭園は「日本三公園」の一つ。梅の名所なのでちょっと季節外れだが街道歩きで疲れた体を癒してくれる。

 「好文亭」(左)の高楼に座って殿様気分で「千波湖」(右)を眺めたかったのだが、残念ながら震災の影響で休館中。だが、庭園から眺めた千波湖も素晴らしい。湖面が夕日にきらきら輝いている。

 


 帰路の水戸駅に着いたら「水戸黄門と助さん格さん」(左)が。

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