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水戸街道道中記
  

(3)松戸宿 まつどじゅく           街道地図
 江戸川に隣接した松戸宿は物資の中継地として大変賑わった宿場で、
天保14年
(1843)の水戸佐倉道宿村大概帳によると、本陣1、脇本陣1、
旅籠28、家数436とある。
 また、脇往還でありながら松戸宿までは道中奉行の管轄だったことから、
よく整備された街道で、水戸家はもちろんのこと常磐・奥州の十四大名が
松戸を通って江戸に向っていた。

平成23年2月19日

 葛飾橋を渡ったら左に曲がり、堤防上の道を上流へ500mほど歩くと金町関所跡の対岸辺りに到着。

 堤防の右下に「是より御料 松戸宿」と刻まれた「松戸宿碑」(左)が見える。江戸川を舟で渡ってきた旅人はここから天領の松戸宿に入っていくのだが、当時は木製の「傍示杭(境杭)」が建てられていたそうだ。

 街道はここから「下横町」(右)を通って宿場街へ。宿場街へ入って2本目の路地を右に曲がると何やら人だかりが。

 坂川畔で「河津桜まつり」(右)が行われ、豚汁やあんころ餅が振舞われていたのです。もちろん私も御相伴に預かりました。松戸宿で「河津桜」にお目にかかれるとは想定外。 

 人込みを抜け、橋を渡った先の「松龍寺観音堂」(左)に、籾殻(すくも)塚稲荷の籾殻から現れたという聖観音菩薩が祀られている。面白いのはここで行われる観音様の縁日「四万六千日」。

 またの名を「とうもろこし市」とも呼んでいる。門前参道でとうもろこし が売られ、参詣者がこれを食べると雷にあわないのだとか。


 街道に戻ると、道路の斜め向こうに松戸郵便局が見えるが、ここは「脇本陣跡」(右)。往時の面影を残すものは何も無い。

 その先の交差点を左に曲がると、マンションの前に「本陣跡地碑」(右)が据えられている。

 説明板によると、江戸時代後半は伊藤惣蔵家が代々務めてきたそうだ。残念なのは、慶応3年に建てられたと推定される建物が、平成16年(2004)に解体されマンションに変わってしまったことだ。

 交差点を渡った先に、「松戸名産 茄子のよいち漬」(左)と染め抜かれた紺のノボリが立っている。 松戸に那須与一?

 早速店に入り購入がてらご主人に話しを聞くと、その昔、小茄子のことを「よいち茄子」と呼んでいたのだそうだ。 ところで、この店の名が三河屋。 松戸と那須と三河、変な取り合わせだね〜

 三河屋の対面に石造りの鳥居が見えるが、ここは「松戸神社」(右)。日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の際、随行の者と待ち合わせした場所に社殿が建てられたという。

神社の脇から横道へ出て、常磐線の下を通りちょっと寄り道を。

 向った先は国指定重要文化財の「戸定(とじょう)邸」(左)。明治17年に建設されたこの邸宅は、徳川慶喜の弟で水戸藩最後の藩主となった徳川昭武が、後半生の隠居生活を楽しんだ場所。

 高台に建てられた建物は豪華ではないが、室内に入ると凛とした気品をそなえた清々しさを感じる。ちょっとゆがみのあるガラスがはめ込まれたガラス戸が「なんとも懐かしい」(右)。

 建物以外にも歴史館や梅園、さらには与謝野晶子の歌碑が沢山あるので松戸宿に来たらぜひ寄り道したい場所である。

 街道に戻って数分歩くと春雨橋を渡るが、その前後になんともレトロな古民家が数軒。その1軒が「福岡家住宅」(左)。江戸時代から薪、炭を扱う旧家だそうだが、この建物は明治末期の建築。

 春雨橋の100mほど先に見える二階建ての建物は昭和初期に建てられたという「旧原田米店」(右)。建物は昭和だが、創業はなんとなんと元文2年(1737)、今も対面のマンション一階で営業中である。

 その他にやまだ屋栄泉堂岡松など数軒の古民家がマンションの谷間で頑張っている。

コメント:春雨橋とはなんとも情緒ある橋名だが、元は水戸石橋と呼ばれ、いつの頃からか春雨橋になったのだとか。橋は全く情緒が無いコンクリート橋である。

 春雨橋を渡ってその先の路地を左に入ると、突き当たりが剣豪千葉周作の実父、浦山寿貞の墓と、周作の剣の師である浅利又七郎の供養碑がまつられている「宝光院」(左)である。

 宝光院の入口に「千葉周作修行之地」(右)と記された標柱が建てられているが、宝光院とこの先の善照寺との間は、後に北辰一刀流を編み出した千葉周作が修行した浅利道場があった場所。

 今、その遺構は全く見られない。

 街道をもう少し先まで歩き、西蓮寺横を左に入ると江戸川の堤防に突き当たるが、この辺りは「納屋川岸(なやがし)(左)があった場所。

 江戸川舟運の舟問屋及び名主として松戸の繁栄に貢献した青木源内家の黒板塀が僅かに往時の繁栄ぶりを偲ばせてくれる。

江戸川堤に上がると、彼方に「常夜灯」(右)が見えるではないか。かつて、「通運丸」(右)という客船が就航していたそうだが、舟運復活を願って常夜灯を設置したのだそうだ。

街道に戻り、常磐線を跨線橋で越えると静かな旧街道に入る。

 松戸宿を出たあとは見所が少ないが、街道際に「雷電神社の鳥居」(左)がありました。正面階段を上った高台にこじんまりした社殿が鎮座している。

 旧街道はほどなく国道6号に合流。てくてくと30分ほど歩き、中根立体入口交差点を渡り、左に曲がると小さな橋が。

 その昔、この橋は大雨のたびに流されてしまい旅人泣かせの橋であった。そこで良観上人が馬の鞍の形をした橋を架けさせたところ、流されなくなったのだとか。以来、この橋を「馬橋」(左)という。

 馬橋を渡って馬橋駅前商店街に入ると、彼方に「萬満寺山門」(左)が見える。建長8年(1258)、小金城主の千葉介頼胤が大日寺を創建したのが始まりで、豊臣秀吉、徳川家康らの庇護を受けている。

 山門の奥にある仁王門では、運慶作と伝わる国指定重文の金剛力士が睨みを利かせている。金網越しで見ずらいのが残念。

 萬満寺の守護神として創建された「王子神社」(右)は、明治6年(1873)、太政官布告で萬満寺から独立している。鳥居を入った右側に、ちょっと珍しい陶器製の狛犬が一頭。

旧水戸街道は萬満寺の前での字のごとく右に曲がって江戸見坂を上り、八ケ崎交差点で再び国道6号に合流。

 合流した向こう側の歩道に「水戸街道道標」(左)が建てられている。この道標は文化3年(1806)に建立されたもので、刻まれている文字は「左水戸街道」「右印西道」さらに「総州葛飾郡馬橋村」。


 道標の先100mほどの所に白く細長い標柱が1本。「一里塚跡」(右)と記されている。一里塚は消滅しているが、ここは八ケ崎(はちがさき)一里塚があった場所。

 一里塚跡を右に見て国道6号の緩い坂道を上っていくと、彼方に鎮守の森が見えるが、ここは「蘇羽鷹神社」(左)。中世の豪族千葉氏の守護神として天正4年(1576)に創建されたと云われている。

 境内の右手、石塔群の中の出羽三山等供養塔側面に「芭蕉の句」(右)が刻まれている。

 松杉を ほめてや風の かほる音  はせを

 旧水戸街道は、神社の横で国道6号から分かれ旧道へと入っていく。

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