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水戸街道道中記
    

(4)小金宿こがねじゅく             街道地図
 小金宿は家並み150軒ほどの小さな宿場であったが、近くに鷹場が設けられて
いたことから水戸藩に重用され、水戸藩専用の本陣と他藩用の本陣が置かれる
などユニークな宿場であった。 また、近くが幕府の軍馬育成のための小金牧で
あるため幕府にとっても重要な地である。

 江戸時代の遺構は少ないが、当時の旅籠建物が一軒だけ現存している。

平成23年3月3日

 国道6号と重なっていた「旧水戸街道」(左)は、蘇羽鷹神社前から右側の旧道に入っていく。入口に建てられた標柱に「現在地から900mは当時の道形を残しています」とあるので、楽しみな街道だ。

 旧道に入ると、とたんに静かな道に変身。当時の面影はあまり見られないがクネクネと曲がった素朴な道は江戸時代そのまま。

 しばらく歩くと、何処かで見たような・・・・・常滑だ。 常滑の土管坂は土管と焼酎瓶であったが、こちらは醤油壷。ざっと500個がはめ込まれている。 ちょっと語呂が悪いが「醤油壷坂」(右)かな。

 旧道は、ほどなく国道6号を横断して小金宿へ。

 ちょっと見落としてしまいそうだが、門の中に「永妻家(屋号あめや)」(左)と記された説明板が建てられている。永妻家は代々「六右衛門」を襲名する飴の製造販売業者であった。

 また先祖の藤風庵可長は俳諧をたしなみ、一茶とは同門であったそうな。そんな関係か、永妻家に一茶が宿泊したと云われている。

 1〜2分先の一月寺は、江戸時代の「一月寺(いちげつでら)跡」(右)。一月寺は虚無僧寺として知られた普化宗の関東総本山であったが、明治政府の普化宗廃止令により廃寺となっている。
コメント:現在は日蓮宗に改宗し、寺名も「いちがつじ」。


   ちょっと先の古民家は「旧旅籠玉屋」(右)。旅籠の原型をよく留めているという建物は江戸時代末期の建築。ざっと150年前の建物だが、今も住居として現役だ。

 数分歩いた先の小金小学校バス停前の梅澤家は、江戸時代、京屋と呼ばれた旅籠。庭内にあったのは「明治天皇小金宿御小休所」(右)と刻まれた石碑。陸軍演習見学途中に休憩された場所である。

コメント:石碑は庭内だが外に向いており、外の駐車場から簡単に見ることができる。

 梅澤家対面の路地を入った奥に「小金宿本陣跡標柱」(左)が建てられているが、こちらは屋号井筒屋の大塚家本陣があった場所。

 小金宿にはこの他に小金御殿とも呼ばれた日暮(ひぐらし)家が務めた水戸藩専用の本陣も置かれていた。

 街道に戻ると、その先は関東十八壇林の一つであった名刹「東漸寺」(右)。広大な敷地を持つ大寺院であったが、廃仏毀釈や農地解放などでかつての勢いは無いが、それでも名刹の威厳充分な寺院である。

 旧水戸街道は東漸寺入口から300mほど歩いたところで直角に右へ曲がっていく。その角に石柱が3本。「右水戸道中」(左)と「水戸海道」と刻まれた道標が2本。「八坂神社御跡地」と刻まれた石碑が1本。

 右へ曲がらず真っ直ぐ20mほど歩くと「本土寺道」(右)と刻まれた道標がある。本土寺は日蓮上人の弟子日朗を招いて開堂、日蓮上人より長谷山本土寺と寺号を授かったとされる名刹。

 かつては70余の末寺を持つという大寺院であったが、度重なる戦乱や廃仏毀釈で衰退。今はアジサイ寺として有名になっている。

道標の前で右に曲がった旧水戸街道は緩い坂道を下って国道6号を横断。今度は坂を上っていく。

 坂の途中から左に曲がり「根木内城址」(左)に寄り道を。戦国時代の寛正3年(1462)、高城胤忠によって築城されたと伝えられているが、天文6年(1537)には廃城。今でも空堀や土塁が見られる。

 街道に戻り7〜8分歩くと街道際に「庚申塔」(右)が2基。青面金剛像が彫られたものと青面金剛と刻まれたもので、300年近く前の享保9年(1724)と宝暦12年(1762)の作。

 庚申塔の周りで幼児が遊んでいましたが、なんとも微笑ましい光景ですね〜

庚申塔から10分ほど歩いた所の香取神社「一里塚の碑」(左)が据えられている。なかなか文学的に表現されているのでその一部を。
・・・怱忙の歴史の彼方に そこはかとなく 忘れ去ることの忘却を想い この碑を建てました

一茶の句も刻まれている  下陰を さがしてよぶや 親の馬  一茶

 この辺りの水戸街道は広大な原野の「小金牧」の中。道に迷う旅人が多かったことから千本の松を植え、道しるべとしたことが八坂神社前の説明板に記されている。
 右は「昭和37年(1962)頃の松並木」。今は一本も残されていない。

香取神社から先は見所がほとんど無い単調な道。せめて神社を拾い歩きしながら先へ進もうではないか。

 稲荷神社は萱葺き屋根という
珍しい神社である。
 八坂神社の周辺には
昭和50年代まで松並木が
あったそうだ。
 別雷(わけいかずち)神社
霊験は大変なもの。百有余年の
間、落雷に遭遇した氏子は皆無
だとか。
 豊受(ゆたか)稲荷本宮
神仏習合の神社。神殿の後ろに
観音堂があり、お釈迦様が祀ら
れているそうです。
 神明神社明治初期の
開拓民の心のよりどころとして

勧請した神社だそうです。

 JR南柏駅前を通り過ぎて5〜6分の交差点は「日光東往還入口」(左)。ここから10宿を通って日光街道雀宮宿の先まで20里34町(約82km)。日光参詣のために作られた街道である。

 この先は真っ直ぐな街道がどこまでも続いている。かれこれ30分ほど歩いただろうか。 到着したところは「柏神社」(右)。

 旧来、天王様として親しまれていたが、明治期に八坂神社と羽黒神社を合祀。昭和49年(1974)、社殿改築時に柏神社と名称を変えている。こじんまりした神社だが人気があるようで参拝者が絶えない。

 柏神社から数分の所に「明治天皇柏御小休所碑」(左)がある。明治17年(1884)、女化け(おなばけ)原で行われた近衛砲大隊射撃演習の天覧に行幸された際の小休所だが、この碑は太平洋戦争真っ只中の昭和19年(1944)に建てられたもの。

 旧水戸街道はほどなく国道16号を横断していくのだが、その少し手前の奥まった所に「諏訪神社」(右)が鎮座している。

社殿は比較的新しいが、境内左手に青面金剛と刻まれた「庚申塔」(右)が、なんと数十基も。

旧水戸街道はこの先の国道16号を横断し、常磐線も横断し、呼塚橋を渡って5番目の宿場である我孫子宿へと向っていく。

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