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水戸街道道中記
  

(7)藤代宿ふじしろじゅく       街道地図
 藤代宿は他の宿場より少し遅れた天和年間から貞亨年間(1681〜1688)
かけて指定されている。 JR藤代駅を挟んで西の藤代村と東の宮和田村に
宿場があり、二宿で一つの宿場を形成していた。それぞれに本陣があったと
いうことだが、 宮和田村の本陣については記録が見つからないため存在が
はっきりしない。

 今の藤代町の町並みに宿場時代の面影はあまり感じられない。

平成23年3月10日

 取手宿を出た後は田んぼの中の真っ直ぐな道を北上。ほどなく「旧陸前浜街道」(左)と記された標柱が街道際に建てられている。

 明治5年(1872)、水戸街道と岩城街道を合わせて「陸前浜街道」とする通達が出されたが、明治18年(1885)に「国道6号」と名称変更が行われたため、今は「陸前浜街道」と呼ばれている。

 標柱からかれこれ30〜40分ほど歩いただろうか。JR常磐線の踏切りに差し掛かったが、ここにも「旧陸前浜街道踏切」(右)と表示が。この先の国道6号を横断すると藤代宿が近い。

 まもなく街道は直角に右へ曲がっていくが、その左側の「相馬神社本殿」(左)の彫刻が見事。

 正面から見るとごく普通の神社だが裏に廻ると、慶応3年(1867)に再建された本殿が見られる。総ケヤキ造りで、全体が彫刻で飾られているが、向拝柱にも見事な竜が彫刻されている。

 街道に戻ると左側の商店の前にコンクリート製の「防火用水槽」(右)が。戦時中に作られたものだと思うが、最近はトンと目にすることがなかったのでなんとも懐かしい。

 数分先の藤代公民館は藤代宿の本陣が在った場所。昭和30年(1955)に町役場建設のために取り壊されてしまったのが残念。

 せめてもと玄関前にあった「本陣松」(左)と百日紅を公民館脇に移植。解説板に「唐破風造りの玄関は本陣の威容をとどめていた」とある。ならば玄関だけでも残してくれれば良かったのだがナー。

 真っ直ぐな旧宿場町を進むと、逆の字に道が曲がるがその右奥に見えるのは「愛宕神社」(右)。村の鎮守様といったところか。

ここから平成23年4月2日

 その先には「旧宮和田宿の町並み」(左)が続くが、ここも宿場時代の面影は全く感じられない。こちらの宿にも本陣があったということだが、資料が残されていないため場所も含めて詳細は不明である。


 10分ほど歩くと道は左に曲がっていくが、「旧街道は真っ直ぐ小貝川の堤防へと向っている」(右)。

 堤防の手前左奥に「熊野神社」(左)が見えるが、東日本大震災で拝殿の屋根瓦が崩れており、シートで保護されているのが痛々しい。

 この神社の創建は鎌倉時代とも戦国時代とも云われている。奥殿は嘉永四年(1851)の再建で、見事な彫刻が施されているということだが、覆屋で囲われており全く見えないのが残念。

 堤防に上がると、目の前はかつて何度も氾濫を繰り返したという小貝川だが、今は穏やかな流れ。上流に国道6号の「文巻橋」(右)が見える。今はこの橋を渡って対岸へ。


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