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水戸街道道中記
 

(9)牛久宿うしくじゅく          街道地図
 牛久宿は水戸街道19宿の真ん中の宿で、上町、下町の2町で成り立っている。
公用荷物の継ぎ立て業務は次の荒川沖宿と合同で行う合宿であったが、大名
行列などが到着すると両宿だけでは対応しきれず、助郷制度に頼っていた。
 この制度は農民にとっては過酷な負担であったことから、農民一揆のさきがけ
ともなる牛久一揆という農民反乱へと発展した歴史を持つ宿場である。

平成23年4月2日

 常磐線の踏切りを渡ると国道6号の向こうに左へ入る道が見える。「旧水戸街道ではないが」(左)、ここを入ると旧街道に復帰できるので、この道を歩く事に。

 数分歩くと右から来る旧水戸街道に合流。 その先の北浦坂を上ると牛久宿の下町である。

 ほどなく左に曲がる道際に「芋錢河童碑道」(右)と刻まれた石碑が建てられている。「河童の芋錢(うせん)か芋錢の河童か」とまで言われたほど河童を描き続けた小川芋錢の墓があるというので寄り道を。

 芋錢の墓を目指す途中に「八坂神社」(左)があったのでちょっと覗いてみることに。 約千年の歴史があるという当神社の境内には推定樹齢300年のエノキと400年のスダジイがそびえている。

 数分歩いた突き当たりの塀際に小さな石碑と説明板が建てられているがここは「牛久城大手門跡」(右)。

 十六世紀初めごろ岡見氏によって築城された牛久城だが、天正18年(1590)岡見氏滅亡。その後 由良国繁が入城したが、元和7年(1621)由良氏が除封になり廃城となってしまった。

 大手門跡の100mほど先が寄り道の目的地「得月院」(左)。慶長元年(1596)、牛久城主由良国繁の母妙印尼によって開基された古刹で、牛久城址の一角にある。(開基年代は特定されていない)
 

 山門を入ったすぐ左の閻魔堂の中から「閻魔大王と奪衣婆」(右)が並んでこちらを睨んでいた。 奪衣婆は閻魔大王の妻とも、使用人とも言われているが、ここの説明板では閻魔の妹なのだそうだ。

 本堂の裏に廻ると、小川家代々の墓の隣に「小川芋銭の墓」(左)がある。日本画の巨匠・小川芋銭は牛久沼のほとりで生涯を終え、沼が望めるこの寺で永遠の眠りに。


 芋銭墓の奥にある「得月院五輪塔」(右)は、得月院を開基した妙印尼の墓碑。妙印尼は81歳で死去という長命であったが、なんと77歳のとき、300人の兵を率いて松井田城を攻略するという烈女であった。

得月院からさらに十数分歩くと、河童碑や芋銭の画室兼居宅として建てられた雲魚亭が見学できるのだが、今回はパスとした。

街道に戻り数分歩くと黒板塀に屋敷門を構えた飯島家の前に「明治天皇牛久行在所碑」(左)が建てられている。

 明治17年(1884)、女化け(おなばけ)原で行われた近衛砲大隊射撃演習の天覧に行幸された際の行在所であるが、草深い田舎に明治天皇が来られたということは、地元民にとっては晴天の霹靂であったろう。

 牛久宿には行在所碑以外、往時を偲ぶ説明板など全くないが古老の話によると、正源寺手前の鈴木家辺りが「本陣跡」(右)だという。脇本陣は用意されておらず、旅籠も15軒ほどの小さな宿場であった。

 街道はその先で水戸街道特有のの字に曲がっている。曲がりの頂点奥が「正源寺山門」(左)であるが、ここがなかなか面白い。

 この山門は鐘楼門(今は梵鐘は無い)だが、阿吽の仁王像は門内ではなく、門の前に立っている。さらに、門を入ると坂道を上って本堂に行くのが普通だが、ここは坂を下った先に本堂があるという。

 くの字に曲がった数分先に慶応4年(1868)創業という「宮崎利兵衛商店」(右)が今も頑張っている。元々は酒屋さんであったようだが、今は酒以外の商品も。

旧水戸街道はこの先で現水戸街道(国道6号)に合流。次の荒川沖宿までは国道を歩いていく。

ここから平成23年4月25日

 JR牛久駅前を通り過ぎて5〜6分、国道から100mほど入った奥に「お目覚め薬師さま」と呼ばれる「薬師寺」(左)がある。

 この寺は、弘仁7年(816)の開基と伝えられているが、幕末頃から100年ほどは無住となり荒れ寺に。ところが、霊験によって現代に蘇ったお寺なのだそうだ。だから「お目覚め」。

 参道にある「宝篋印塔」(右)は明和5年(1768)建立ということだが、台座部分に寄進者の苗字が刻まれている。庶民に苗字が許されなかった時代でもしっかりと苗字を持っていたという貴重な資料である。

 街道に戻ると、その先はずーっと国道6号を歩くことに。

 国道408号との交差点を過ぎると街道際に「樹齢250年のスダジイ」(左)が天を圧している。250年前といえば10代将軍家治(いえはる)の時代。以来、旅人を見続けたスダジイは今も元気旺盛である。

 10分ほど歩いた先に、布でぐるぐるに縛られた地蔵が2体。「縛られ地蔵」(右)とでも言おうか。日光街道越谷宿の久伊豆神社で、前足を縛られた狛犬を見たが、こちらは全身を縛られているのだった。

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