成田街道は、もともとは水戸街道の新宿から分岐し、佐倉藩や
 多古範が参勤交代に使った佐倉道であった。元禄時代ごろから
 成田山信仰が盛んになり、多くの成田詣での旅人が佐倉道を
 通って成田山へ向かったことから「成田街道」と呼ばれるように
 なったと云われている。

  一方、水戸街道・我孫子宿の先から利根川沿いに成田山へ
 向かうルートもあったが、こちらも成田街道と呼んでいた。
  また成田山詣でが盛んになると、塩の輸送を行っていた
 行徳船が日本橋小網町から行徳新河岸まで旅客輸送を行う
 ようになり、船旅が味わえるこちらのルートも大変な賑わいと
 なっていった。


成田街道宿場一覧
  新宿
  にいじゅく
 日光街道千住宿から分かれた水戸街道の最初の宿場が新宿。
成田街道は、さらに新宿から分かれて成田山へ向かう。
 ①八幡宿
   やわたじゅく
 日本橋から五里三十三町と江戸から近かったことで参勤交代の
宿泊地にはならず、本陣、脇本陣はなかった。
 ②船橋宿
   ふなばしじゅく
 成田街道の中では細大規模の宿場で、飯盛り女も多く、歓楽街的な
要素が強かった宿場である。
 ③大和田宿
   おおわだじゅく
 菅原道真のたたりを恐れた藤原時平の子孫が住んだという大和田は
江戸時代の中頃から成田詣での旅人で大変な賑わいであった。
 ④臼井宿
   うすいじゅく
 平安時代から江戸時代初期にかけて臼井城の城下町として栄えたが
慶長九年(1604)に廃城。城下町としての賑わいを失ったが、成田詣でが
盛んになると宿場町として再び賑わいを取り戻している。
 ⑤佐倉宿
   さくらじゅく
 佐倉宿は、老中土井利勝によって築かれた佐倉城の城下町として
発展。成田街道は城下町を東西に横切っているが、商人町であった
新町通りでは今も間口が狭く奥行が長い町屋を見ることができる。
 ⑥酒々井宿
   しすいじゅく
 「井戸水が酒だった」という伝説がある酒々井は、戦国期に本佐倉城の
城下町として繁栄。江戸中期からは成田詣での旅人で賑わった。
   成田山
   なりたさん
 天慶三年(940)に開山された成田山新勝寺は、戦国期にかなり荒廃し
荒れた寺となってしまった。しかし、歌舞伎役者の四初代市川団十郎が
成田不動に帰依し「成田屋」の屋号で芝居を打ったことから、江戸庶民の
人気となり成田参詣が盛んとなる。