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  F成田山新勝寺                        街道地図
   なりたさんしんしょうじ
天慶3年(940)、寛朝大僧正が君津ケ原の地において平将門の乱平定の護摩を奉修、朱雀天皇より新勝寺の
寺号を授与され成田山が開山。東国鎮護の寺院となったが戦国時代の混乱で寂れた寺となってしまった。
江戸時代に入ると歌舞伎役者の市川團十郎が成田不動に帰依し成田屋の屋号で芝居を打ったことから
江戸庶民の人気となり成田参りが盛んとなる。
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 平成24年5月10日
酒々井宿を出た旧成田街道は国道51号から国道409号に入りしばらく歩いた後、国道51号を横断して旧道へと入っていく。

街道際に墓があるではないか。標柱に「和算家飯嶋武雄の墓」(左)と記されている。江戸で和算を学んだ飯嶋は不幸にして失明してしまうが口授で和算を教えた門下生は千人を超えたそうだ。

その先数分の三叉路に据えられているのは「一本松跡碑」(右)。かつて、成田山参道入口のこの地に一本の松の大木がそびえており この松を見た旅人はやっと成田に着いたと安堵したという。

JR成田線の踏切りを過ぎ京成線の跨線橋を渡ると「不動尊旧跡」(左)なる場所がある。

君津ケ原(こうづがはら)に開山された成田山は戦国時代に荒れ果ててしまった。このため安政5年(1858)、成田村に新本堂(現釈迦堂)を建立。ご本尊の不動明王入仏供養の行列が出発したのがこの地。

門前町に入りまもなく成田山という時にピカッ・ドーンときてザー。やむなく「米屋聡本店」(右)で雨宿り。ここは明治23年(1890)創業の老舗羊羹店。砂糖の結晶にくるまれた昔ながらの羊羹がなんとも懐かしい。

降り止まぬ雨の中を出発。成田詣でで賑わった頃を想像させる「門前町」(左)も今日は人影が疎ら。かつては30数軒の旅籠があったというが今は土産物店が中心。

だが江戸時代から頑張っている旅館もある。 「大野屋」(右)は創業300年という老舗。昭和10年(1935)に建て替えられた望楼のある現在の建物は国の登録有形文化財.。

ほどなく開基1070年祭にあわせて建立した総門が見えてくる。この門を潜るといよいよ成田山新勝寺。

総門先の山門は文政13年(1830)再建の「仁王門」(左)。右側には阿行の那羅延(ならえん)金剛像、左側には吽行の密迹(みっしゃく)金剛像が安置され境内の伽藍を守っている。

門の中央に掲げられている「うおがし」と記された大きな赤提灯は東京・築地の魚河岸旦那衆が奉納したもの。

階段を上ると昭和48年(1968)建立の「大本堂」(右)が目の前に。以前は安政5年(1858)建立の現釈迦堂が本堂であった。大本堂では毎朝、護摩祈祷が行われるが一般人も本堂内で参拝できるそうだ。

本堂右手の「三重塔」(左)は正徳2年(1712)の建立で国指定の重要文化財。本堂が大きいため小さく見えるが高さは25m、塔内に奉安されているのは五智如来像。

近づいて見上げると「極彩色の軒下」(右)が素晴らしい。垂木を使わず1枚板に雲紋を彫刻し彩色した板軒であるが、開基1070年祭にあわせて修復。建立当時の姿を蘇らせたという。

成田山にはまだまだ見所が沢山あるのだが激しい雨でままならず。
旅が無事に終わったことを成田山に御礼して帰途に。

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