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  新 宿にいじゅく                   街道地図
日光街道から分かれた水戸街道の最初の宿場が新宿であるが千住宿と松戸宿に挟まれた
旅籠4〜5軒の小さな宿場であった。 現在の町並みには往時の面影は見られないが見事に
曲がった枡形だけは往時のまま。 

成田街道
(旧佐倉街道)は新宿で水戸街道と別れ、街道一の繁華街であった船橋宿や佐倉藩の
御城下を通って14里先の成田山へと向っている
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 平成24年2月20日

千住で日光街道から分かれた水戸街道は水戸橋を渡り古隅田川の脇を通り、大曲りを抜け到着した川は「中川」(左)。 利根川と墨田川の間を流れる川なので中川なのだそうだ。かつては渡し舟で対岸へ渡っていたが今は立派な橋が掛けられている。

中川橋を渡ると小さな公園に「タブノキの切り株が」(右)。かつてはここを往来する旅人の”道しるべ”であったタブノキだが、中川橋架け替え工事の際切り倒されてしまったのだとか。

中川を渡った水戸街道は すぐに右へ曲がって新宿(にいじゅく)へと入っていくのだが今の新宿には往時の面影は無い。

右に曲がって数分、西念寺の本堂左手、小さな堂内に祀られているのは「鯖大師」(左)。ついぞ聞いた事が無い大師様であるが弘法大師のことなんですね。鯖を3年間断って祈願すると願い事が叶うのだとか。

四国別格霊場第四番札所の八坂寺が鯖大師本坊と呼ばれているが その鯖大師が何故ここに。

次の枡形を曲がらず真っ直ぐ進むと「日枝神社」(右)。本殿は真新しいが創建は永禄2年(1559)とのこと。ここの手水は龍の口ならぬ猿が持つ瓢箪から。

枡形を左に曲がり次の枡形まで歩くと「金阿弥橋」(左)と記された橋の親柱と欄干があるが今は暗渠となってしまい川は無い。

金阿弥橋を渡ると街道は左と右に分かれる「追分」(右)。 かつてはここに追分道標があったのだが今はどこやらの博物館の倉庫に仕舞われてしまった。

前回の街道旅では左に曲がって水戸街道を歩いたのだが今回は右に曲がって成田街道(旧佐倉街道)を歩くことに。

右に曲がり国道6号を横断すると、その先は狭い道で古民家こそ無いが生垣があったりと ちょっと都会離れした「旧街道」(左)の雰囲気。

時たま自動車が通る道を10分ほど歩き寿々喜蕎麦店の先を左に曲がると「地蔵堂」(右)の中に「庚申塔道標」(右)が1基。刻まれている道筋は「これより右ハ 下河原村 さくら海道」「これより左 下の割への道」。

元禄6年(1693)に建てられたもので区内(葛飾区)最古の道標。

左に曲がってすぐに右に曲がり5〜6分歩いた先の交差点際にある寺院は徳川幕府大老四家の一つに数えられた上野(こうづけ)厩橋藩酒井家の江戸の菩提寺である「崇福寺」(左)。

ほどなく ちょっと広くなって歩道のある「桜並木の道」(右)へと入っていくがその入口に旧佐倉街道と刻まれた道標が1本。

道標には「五街道に匹敵する重要な道であった佐倉街道は佐倉藩をはじめ十数藩が通行していた。また成田山や千葉寺に参詣する大勢の旅人が通ったことから成田千葉寺道とも呼ばれていた」とある。

桜並木を30分ほど歩いただろうか。せせらぎが流れる道は「親水さくらかいどう」(左)と名づけられた散策路。明治時代に佐倉街道に沿って作られた農業用水路を整備したもの。

突き当たりは「江戸川堤」(右)。成田街道(旧佐倉街道)は江戸川沿いを下っていたようだが、度重なる江戸川堤防の改修でルートは不明に。 ならば景色の良い堤防上のサイクリングロードを歩くことに。

景色の良い堤防上の道を歩いていると「江戸川不動尊」(左)の看板が。癌封じと記されているではないか。ちょっと寄り道を。

歴史ある寺院ということではないが 癌封じ・ボケ封じ の御利益が興味をそそる。

江戸川不動尊から先は堤防下の道が旧街道。旧街道に入ったすぐ右の神社は「天祖神社」(右)。この周辺には天祖神社が多いがここもその一つ。

天祖神社のちょっと先の寺院は慶長7年(1602)開山という真光院。かつては萱葺きの本堂であったそうだが今は無粋なコンクリート造り。門前にさりげなく立つ「馬頭観音と庚申塔」(左)がいいねー。

真光院から数分先の観音堂に祀られているのは小さな小さな「光ケ嶽(てるがたけ)観音」(右)。

室町時代末期の武将里美義豊 義俊の守り本尊で、一寸八分(約6センチ)という小さな仏像。常に甲冑に収め戦場に赴いていたと伝えられているが、その後 幾多の変遷を経てこの観音堂に。

さらに4〜5分歩いた寿司店前にある道標は「伊予田の観音道道標」(左)。旧伊予田村に安永4年(1775)に建てられた道標で正面に刻まれている文字は「是よりあさくさくわん世於ん道。

京成線江戸川駅の下を通り抜けた先に鎮座している神社は稲荷神社・北野神社・須賀神社の三社が合祀された「北野神社」(右)。

かつて須賀神社で行われていた区指定無形民族文化財の茅の輪くぐり が行われるのは6月25日の例祭日。

その先のちょっと大きな石柱は「御番所町の慈恩寺道道標」(左)と呼ばれる道標で、江戸川を渡って小岩市川の関所を通ると正面に見えたそうだ。

刻まれた文字は「右せんじゅ岩附志おんじ道 ・・・・・」。 坂東三十三観音の十二番札所・埼玉県岩槻の慈恩寺への道案内をしているもので当時の庶民の霊場崇拝が偲ばれる。

その先を右に曲がった宝林寺の境内にある「常燈明」(右)は天保10年(1839)に小岩市川の渡し場に建てられたもの

街道は国道14号に合流して左に曲がり江戸川を渡っていくのだが「塀の上で猫」(左)が気持ちよさそうに寝ていたので1枚。こんなに巾狭いところだが居心地が良いのですかね。

江戸時代はは慈恩寺道道標のあたりから左に曲がって関所を通り、渡し船で江戸川を越えていたが今は「市川橋」(左)で千葉県へ。

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