青梅街道 道中記 青梅街道の表紙に戻る
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 平成27年5月6日 街道地図

 「青梅街道」(左)二日目の出発はJR荻窪駅前から。しばらく歩くと青梅街道と環状八号(今は地下道)が交差する四面道交差点。

 ここは下荻窪村・上荻窪村・天沼村・下井草村の境界で、ここにあった秋葉常夜灯が四村に面していることから「四面塔の辻」と言われていたそうだ。道路拡張のため常夜灯が撤去されるといつしか四面道に。

 四面道から約10分、「薬王院・薬師堂」(右)が右奥に見える。元禄以前の開創と云われ今川氏の保護を受けたこともあった。明治維新で今川氏の菩提寺であった観泉寺に併合。境外仏堂となっている。

 すぐ先の「荻窪八幡神社」(左)は寛平年間(889~898)に応神天皇を祭神として建立されたと伝えられている。また永承6年(1051)に源頼義が奥州征伐の途中、ここに宿陣し戦勝祈願したとも伝わっている。

 境内左手の背の高い木は道灌槇と呼ばれる御神木。太田道灌が石神井城を攻めるにあたって故事にならい槇の一樹を植えたもので樹齢は500年。ちょっと樹勢が衰えているようだが。

 「四面道にあった秋葉常夜灯」(右)は道路拡張工事に伴い撤去されたが秋葉堂と一緒に八幡神社の境内に移されていた。

 しばらく歩くと「井草八幡宮大鳥居」(左)が街道に面してドーンと立っている。創建年代は不詳だが、源頼朝公が奥州藤原泰衡征伐の際に戦勝祈願に立ち寄ったのが文治2年(1186)であった。

  長い参道を歩いた先に見えたのは朱鮮やかな「楼門」(右)。 思わず写真に撮りたくなる景色だが造られたのは昭和46年(1971)。 コンクリート製というのがちょっと興ざめだが、緑の森に朱色の楼門がよく似合う。

 楼門を入ると境内中ほどに「頼朝公御手植の松」(左)が。ちょっと細いなと思ったら2代目の松だという。奥州平定に成功した頼朝はその奉賽(お礼)に雌雄2本の松(赤松・黒松)を自らの手で植えたそうだ。

 残念ながら雌株は明治時代に枯死。雄株も昭和47年(1972)の強風で折れてしまったが神門裏の衝立はその時の根を輪切りにしたもの。

 神門を入った正面の「拝殿」(右)はコンクリート造りだが、その奥に寛文4年(1664)に今川氏堯が改築した本殿が鎮座している。杉並区最古の木造建築だそうだが残念ながら見ることはできない。

 街道に戻る際は最初に通った東参道ではなく北参道へ。 ここには昭和42年(1967)に建立された大燈籠がある。屋根は銅板葺だが、なんと八畳分の広さがあるという。

 井草八幡宮を出るとその先は練馬区。これまでは街道沿いの並木が銀杏であったが練馬区に入ると「ケヤキ並木」(左)に変わっている。

 数分歩くと三叉路際に地蔵尊が。この地蔵尊は享保14年(1729)の造立で通称「江戸向き地蔵」(右)と呼ばれている。石塔は文政9年(1826)に建立された「三山百番供養塔」(出羽三山・坂東/秩父/西国の百カ所)

 街道際に神社があったのでちょっと寄り道を。この辺りは江戸時代中頃に開発された竹下新田。そのころに創建されたと考えられる「竹下稲荷神社」(左)で村民持ちの神社であった。

 稲荷神社から4~5分、関町1丁目交差点まで来たら手前を左に入ると「千川上水」(右)が流れている。

 かつて歩いた五日市街道の旅では千川上水脇の遊歩道を快適に歩き、境橋で玉川上水から分流するところを見たが、その千川上水を再び見るとは。この先は青梅街道の手前で暗渠に。ちょっと残念。

 交差点で街道右側に移り7~8分、祠の中に鎮座しているのは「関のかんかん地蔵」(左)。江戸時代中頃の造立と思われるが足元を石で叩けば かんかん という音がして願い事が叶うという。

 その先数分、小学校の校門前に「青梅街道碑と説明板」(右)が設置されている。ちょっと唐突な感じのする石碑だが、説明板に書かれている内容は表紙で説明した内容と変わらない。

 街道は西東京市(旧保谷市)に入った所で二つに分かれるが青梅街道は右へ曲がっていく(というよりは真っ直ぐ行く感じ)

 4~5分歩いた先の保谷家塀脇に「小さなお堂」(左)があり、大日如来の彫られた石塔が納められている。文政九年(1826)と刻まれ、**妙吽信女 とも刻まれていることから墓石のようだ。

 街道から右に入った奥の公園は旧石器時代から縄文時代にかけての住居跡などがが眠る「下野谷遺跡」(右)。環状集落や墓地が多数発見されており、その規模と内容は関東地方でも屈指のもの。

 右奥に朱鮮やかな鳥居が見えるが、ここは「東伏見稲荷神社」(左)。神社の歴史としては極々浅く、昭和4年(1929)の創建である。

 由緒によると「関東地方の稲荷信仰者たちが東京にも京都の伏見稲荷大神のご分霊を奉迎してその御神徳に欲したい」との熱望で創建されたのだそうだ。

 「拝殿」(右)の裏には稲荷神社の象徴である真っ赤な鳥居が幾重にも並んでおり、独特の雰囲気を作り上げている。

 真っ赤な鳥居が連なる中に石造りの鳥居が。ここは稲荷神社ではなく「八幡大神」(左)。ということは、お狐様ではなく狛犬。目のギョロとしたちょっと怖い狛犬です。

 街道に戻り7~8分、石神井川を越えて左へ一歩入ると「庚申堂」(右)がひっそりと建っている。中を覗くと「邪鬼に乗った六臂の青面金剛」という典型的な庚申像が。

 街道はまもなく西武新宿線のガードを潜るが、その先が田無宿である。

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