*** 雨と主従 ***


 建安二十五(220)年陰暦正月二十三日、曹操は洛陽で死去した。

「別におぬしを悼むため足を運んでいるわけではない。朝飯の後でここまで来ると、ちょうどよい腹ごなしになるのだ」
 朝目覚めると食事もそこそこに曹操の棺が安置されている場所を訪れ、棺に向かってそううそぶき、さっさと身を翻して「じゃあな」と去ることが、その後しばらく夏侯惇の日課となった。
 同年二月二十一日に曹操の棺が高陵に葬られても、夏侯惇の「朝食後の腹ごなし」は続いた。
 曹操は生前遺令で「任務に就いている者は持ち場を離れるな」と言い残したが、夏侯惇は「魏王の持ち場を離れて宮から消えたのは、どこのどいつだ」などと減らず口をたたき、任地の鄴を部下たちに任せて墓通いをしていたのだった。


 建安二十五(220)年陰暦夏四月二十五日は、朝から雨が降っていた。
「別におぬしを悼むため足を運んでいるわけではない。朝飯の後でここまで来ると、ちょうどよい腹ごなしになるのだ」
 供も連れずやってきた夏侯惇はつつがなくいつもの台詞を吐いたが、その後すぐには立ち去らず、しばらく黙ってその場に立っていた。
「なあ孟徳、今年のうちにおぬし太祖と呼ばれるようになるかもしれんぞ」
 やがてぽつりと彼は言った。
 太祖は初代皇帝の諡(おくりな)である。曹操は魏王として世を去ったが、跡を継いだ曹丕が帝位に就こうとしているのだった。
「漢の将軍と墓に記されるのが、おぬしの若い頃の夢だったな。なかなか思い通りにはならぬものだ」
 遠くでさらさらと雨の音がする。
「……そういえばあのヒゲも、おぬしがあれほど望んでも手に入らなかったのだったな」


 二十年前のことである。
 関羽が曹操の虜となった。曹操は関羽を厚遇したが、劉備の消息を知るや関羽はその元へと走るべく関所破りを敢行した。
 彼に通行許可証を渡してやるよう手配した後で、席を立ち降りしきる雨を眺めやりながら、曹操は歌うように言った。
「汚いもの、清らかなもの。隔てなくその上に降り注ぎ、すべてを洗い流してゆく。天命とはこの雨のようなものかもしれぬな、元譲よ」
「ふん、天命など信じてもおらぬくせに」
 愛想のかけらもないが、声の主にしてはかなり気を遣ったほうだろう。普段ならこのようなつかみどころのない言葉には、返事もせず広い肩をすくめてみせるのがせいぜいな男である。
「あのヒゲがいなくなったくらいで、そのようにたそがれていてどうする。
 そもそもおぬしがあやつを手に入れようというのは、劉備が妙才を手なずけようとするようなものだ。どだい無理がある」
 当の曹操はさほど落胆した様子もなく、むしろ生来のぶっきらぼうな口調でどうにか励まそうとしているこの無骨者を眺め笑っている風でさえある。たとえに己でなく族弟の夏侯淵を引っ張り出してくる辺りが滑稽だったらしく、曹操は笑いを含んだ声で言った。
「おぬしが劉備に捕まって口説かれても、容易に首を縦に振りそうにないが」
「確かにムシロ売りに従うのは御免だが、別におぬしに義理立てするわけではない」
 夏侯惇はややむきになって言葉を継いだ。
「おれとヒゲを一緒にされては困る。妙才は単純だからおぬしに心酔しているが、あれやヒゲのような暑苦しい忠誠心などというものを、おれは持ち合わせておらぬのだ。
 仮におれが留守居をしたときにおぬしが遠征先でボロ負けしようとも、おれは助けになど行かぬぞ」
「つれないのう」
 曹操は夏侯惇の言葉を涼しい顔で聞き流しながら、再び雨に目を戻した。


 その八年後、曹操が赤壁で大敗を喫したと聞くや否や任地を飛び出して夜も昼もなく駆けた夏侯惇が彼と再会できた日にも、やはり雨が降っていた。
 身を切るような寒さの中ずぶぬれのままどかどかとやってきて主君の無事を確認し、うむとつぶやいて即座にきびすを返した夏侯惇の後姿を、曹操は「せわしないのう」と言いつつ、面白そうな表情で見送った。
 曹操はしばらく冷たい雨を見やってから、ふいに言った。
「関羽は己の与えるものと同様のものを相手に求める。
 あれは己のためにあらゆるものを捧げることも辞さぬ者に命を懸ける。もし関羽が劉備のために命を落とすようなことがあれば、劉備はその対価を支払うため国も民も懸けねばなるまい。
 わしにそれはできぬ。ゆえに関羽はわしの元を去った」
 雨の向こうには、部下たちに警護の指図をしている夏侯惇の姿が小さく見える。
「その一方で、わしが何もせぬのについて参り、こちらが何もかも差し出そうものならかえって気味悪がりそうな男もおる。
 文遠よ、元譲はわしが命をやろうなどと申したらどのような顔をするかのう」
 傍らに控えていた張遼は突然曹操にそんな話を振られて驚いた。しかし容易に答えの想像がつく質問だったので、彼はまじめくさった顔で言った。
「おそれながら、将軍は赤面してうろたえられ、おれをからかうつもりかと我が君を頭ごなしに怒鳴りつけられるでしょう」
 曹操も賛意を示してうなずいた。
「まこと愉快な男よ」

 曹操の死後の事務処理のために顔を合わせた張遼からそのときの話(むろん張遼は己が曹操に答えた文句とそれに対する曹操の言葉は伏せておいた)を聞いた夏侯惇は、関羽が曹操の死ぬひと月前に首となって曹操と再会したことをふと思い出し、
 ――まさかあの手に入らなかったヒゲを追う気になって死んだのではあるまいな。
 と思った。
 むろん病が原因であることはわかっていたのだが、良将への執着を理由にするほうが、よほど彼らしいと夏侯惇には感じられたのだった。
 それにしても、
 ――命をやろうと言われたら。
「……およそ孟徳らしくない台詞だ。おおかたおれの反応を想像して楽しんでおったに相違ない。けしからん」
 真っ赤になりながらもごもご言う夏侯惇を見て、張遼は笑いをかみ殺すのに一苦労しつつ思った。
(この方が近くにいらっしゃればこそ、曹王は安心なさって遠くのものをお求めになることができたのかもしれぬ)


 曹操の墓で、夏侯惇はしとどに降りしきる雨を見やった。
 雨は何も語らない。彼のことなど目に入っておらぬかのようにそしらぬ顔でいる風にも思われるが、彼が気にしてこちらを向くという確信にも似た甘えを感じることもできる。
「ふてぶてしい雨だな。まるでおぬしのようだ」
 何となくそう思い、夏侯惇は眠る主君に向かってつぶやいた。
 ――孟徳のやつ、人がどこまでもついていくと思っておるのか。
「いい加減にしろ。おぬしにそこまで付き合うほど、おれは暇ではないのだ。あのヒゲを追いかけたいなら、ひとりで勝手に行け」


 とは言ったものの、夏侯惇は結局その日のうちに世を去った。
 彼は忠侯と諡された。


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