*** マリンブルーの月下氷人 ***
その駅の北側には、ビルがぽつんと建っていた。
南側には少々くたびれた雰囲気の工業地帯が広がっている。低い建物が多いので、南向きのこの背高なビルからは、その向こうに広がる海が見える。
ビルは鉄道会社の社屋で、北側一帯の土地をずっと先までこの会社が所有していた。敷地内に他の建物はない。社内にある社員食堂で人々が話しているところによると、来るべき複々線化に伴う駅の増築改造工事を見越してこの土地を所有しているのだという説と、土地の価格が高騰するのを待って転売するつもりだろうという説が有力だが、ここは古くからの聖地だから建物を建ててはいけないのだという説も、ほんの少しだけ混ざっている。
ビルには、その駅のある場所がこの先交通の要所になるとは思えなかった。土地の値上がりを待つのも、かなり気長なことになりそうだ。そういうわけで、ビルは聖地説を信じることにしていた。
しかし、そうだとすると、ビルは建っていてはいけないところに建っていることになる。もしかしたら長い命ではないのかもしれない、と西から夕陽が射すたびに彼は思っていた。だから覚悟は早くからできていた。
いつ最期を迎えても、それほど取り乱すことはないだろう。
ただ、いつ最期を迎えるにしても、必ず心残りがひとつあるに違いない。
ビルには気になる相手がいた。特急はもちろん急行も通勤快速も素通りしてしまうこの駅にいつもきちんと停まっていく、一両のワンマン電車だった。その電車が入ってくる時には必ずホームの駅員が「各駅停車××方面行き電車が参ります」とアナウンスする。同じアナウンスで入ってくる電車は他にもいくつかあり、それぞれ車体の色が違っていたが、ビルがとりわけ意識していたのは、白い電車だった。××方面に向かう電車がその駅に入ってくる直前には必ず海沿いの大きなカーブの線路を通るのだが、海の青とその白い電車の調和が、何とも言えず美しいのだった。
ビルの地下の駐車場と駅のホームとを往復する作業用の車がホームから聞いた話では、その白い電車は鉄道会社が海外にある提携企業から親善のしるしに贈られた舶来もので、さる高名な設計者が手がけたのだという。
自分がビルでなくあの海だったらよかったのに、そうしたらカーブのところであの電車に話しかけることができるのに。
そう思う一方で、ビルは電車に声の届かないこの北側の陸地にいてよかったと胸をなでおろしてもいた。動くことのできないビルにとっては、見える範囲が世界の全てだった。社内の人々が常に地図を見たりどこか他の場所と頻繁に連絡を取り合ったりしているので、線路の続く先に何が広がっているかという知識は豊富になったが、それがどのようなものかを想像することはできなかった。
あの白い電車は遠い場所からやってきて、しかも自分が本当の意味で知らない外の世界を、毎日走っているのだ。もしも話ができたとしても、何と世間知らずなつまらないやつだろうと侮蔑されるのが関の山で、きっと相手にもされないに違いない。
話したい、話せない、それでいい、でも話したい。
ビルは心を揺らしながら、身じろぎひとつせずに今日もそこにいた。
白い電車は、海沿いのカーブに差しかかったときその駅の向こうに見えてくるビルに憧れていた。ビルは空よりも深い青で壁面を美しく塗られ、そこに鳥たちが宿っている。鳥の白とその青の調和が、何とも言えずすがすがしい。
自分が電車でなくあの鳥だったらよかったのに、そうしたら空を舞って疲れた羽をあのビルに癒してもらうことができるのに。
そう思う一方で、白い電車は自分がレールから脱線できないことにほっとしてもいた。白い電車は環状線路を延々と走って停まってまた走るという生活を惰性で送っていた。舶来もののこの電車は確かに美しいデザインだったが、速さという点ではいまひとつで、また乗客の車両を連結すると美観が損なわれるという設計者の主張から、ワンマン電車でも乗客が不自由しない程度の利用者数を見込める地域の各駅停車として使用されていた。白い電車は、常に速くて長い電車たちに追い抜かれることの連続で、慢性的な敗北感を心に積もらせていた。たまに大きな駅で環状線路の外から来た電車と知り合い、わずかな間に旅の話を聞くのが、せめてもの楽しみだった。
毎日同じ景色が流れていて何も変わらないのに、それでいて落ち着きなく走り続けている。何と自分はみっともないのだろう。それに比べて、いつも同じところにどっしりと構えているあのビルは、何と偉大なのだろう。
白い電車は同じ思考回路をぐるぐる巡りながら、今日も同じ景色の中を走っていた。
数十年後、変化が訪れた。
白い電車がいつものように海沿いのカーブに差しかかると、青いビルのかわりに工事現場の大きな幕の張られているのが見えてきた。
ただでさえ白い電車が蒼白の面持ちで駅のホームに事情を尋ねると、「古くなったので、一から建て直すらしい」という言葉が返ってきた。
白い電車が泣きながら環状線路のどこかを走っている間に幕の向こうでビルは爆破され、何カ月かして幕がなくなったとき、ビルのあった場所にはぴかぴかの無機質な黒いビルがそびえていた。
それからさらに数十年が経ち、白い電車はついに引退の日を迎えた。
駅の北側は、やはり聖地だったのかもしれない。長い年月の間に、鉄道会社の社屋は別の場所に移転し、駅の北側の新しいビルも、しばらく別の企業に貸し出されていたものの、見た目ほど頑丈なつくりではなかったらしく十数年で再び取り壊され、次の建物の建設予定も立たないまま北側は更地となっていた。
南側の工場廃棄物による環境汚染が深刻な問題になってきたので、国は北側を買い取って巨大な国立公園の造園工事を始めた。聖地もこの用途には文句がないようで、公園は問題なく完成した。
白い電車は美しいだけでなく頑丈でもあったので、引退といっても走ることはまだまだできた。鉄道愛好者たちの署名活動によって、当初その公園の一角の高台に台座をしつらえ飾られる予定だった白い電車は、公園内に敷かれた線路をゆっくり往復することになった。
開園記念式典の日、公園をたくさんの客が訪れた。公園には報道陣も集まった。公園一番の売り物である白い電車の前で、めかしこんだ国の高官と鉄道会社の社長が握手をし、それぞれ長々と演説をぶった。
その後で、撮影の光を浴びて全身かちこちに緊張しながら、青と白を基調にした制服に身を包むひとりの老人が、つっかえつっかえ短い挨拶をしてぺこぺこ頭を下げた。それはこの公園で白い電車を運転することになった運転手だが、彼は鉄道会社に長年勤め、現役時代の白い電車を運転していた老人だった。
取材を終えて運転席に入ると、老人は制服のポケットから小さな青いかけらを取り出し、側の台の上に置いた。それは数十年前に破壊された旧社屋のビルの残骸だった。老人にとってあの青いビルは新入社員の若い頃から壮年期を共に過ごした場所で、白い電車は壮年期から定年を迎えるまでの仕事場所だった。ビルの名残を眺めながら、白い電車を運転することで、彼は自分の歩んできた道を回顧しつつ残る人生を送るつもりなのだろう。
そのしみじみとした感慨が思わぬ橋渡しをしたことなど、彼には知るよしもない。
「こんにちは」
青いかけらが、おずおずと白い電車に話しかけてきた。
「こんにちは」
白い電車は、どきどきしながら挨拶を返した。
白い電車がゆっくりと走り出した。
そして、静かに静かに、新しい時が刻み始められた。