*** 泣く人 ***
『泣いて馬謖を斬る』の故事はつとに有名である。
だが諸葛亮が流したもうひとつの涙について語られることはない。
建興六(228)年、街亭において蜀漢軍の先鋒が壊滅した頃のことだが、諸葛亮は旧友・孟公威の夢を見た。
夢の場面は遥か昔、彼から荊州を去ると告げられたときのものだった。
『これからどうするのですか?』
『郷里の汝南へ帰ろうと思う』
『曹操に仕えるのですか? およしなさい、曹操のところには人材が山ほどいます。いくらあなたでも埋もれてしまいますよ』
――世の評価など気にかけず乱世を収束するために智の限りを尽くすのが、学士の本分ではないのか?
あの時のもの問いたげな孟公威の眼差しが、妙に生々しい。
その後会う機会もなかった孟公威が突然夢に出てきたのは、眠る前に彼の消息を知る者と語ったためかもしれない。
「彼とは昔別れたきりだが、仕官はしているのであろうか」
「はい、涼州刺史・征東将軍にまで昇られました。その善政に民は皆あの方を慕っております」
『その善政に民は皆あの方を慕っております』
それを聞いた諸葛亮の心の中で、小さく何かが弾けた。
正直なところ諸葛亮は孟公威に対し、あらゆる面で控えめな優越感を抱いていた。
それが今にわかに大きく揺らいだのだった。
(わたしとて、蜀漢の民のために尽力してきた)
後味の悪い真夜中の寝覚めの床で、試みに諸葛亮は己にそう言い聞かせてみた。
周囲に人はいなかったが、慎重な彼はもちろん声に出しなどしない。
すると、即座に心の奥底で己の冷徹な声が返ってきた。
――国土を肥やしては遠征で消費する、その繰り返しにすぎぬ。
(戦い続けなければ維持できないこの国で、他にどうすることができたというのだ?)
諸葛亮はやはり黙したまま己に言い返した。
――そのような国を存続させる必要がどこにある?
諸葛亮は妙な焦燥感に駆られ、やや平静を欠いた様子で、声なき言葉を継いだ。
(蜀漢は漢朝を継ぐ正統の国。守り栄えさせるのは当然のこと)
――「正統」?
それは大地をどす黒く染める民の血と引き換えにするほど価値あるものか?
諸葛亮は口だけでなく心まで黙さざるを得なかった。
もうひとつの声は仮借なく責め立てる。
――おまえはなぜここにいる? ここで何をしているのだ?
「天下万民の、安寧のために……」
ようやく喉を通した諸葛亮の独り言は、かすれているうえどこか皮相な色を帯びていた。
――いたずらに地方勢力に肩入れし戦火を拡大していて、よく言えたものだな。
「……わたしは……」
言葉が途絶えた。
空気が蜀漢の民の命より重く感じられる。
諸葛亮は有名人だった。
誰もが彼の一挙手一投足に注目した。
馬謖が命令違反の咎で刑死した折に諸葛亮が泣くと、むろん瞬く間にその事件は人々の間に伝えられた。その過程で大小さまざまな脚色の洗礼を受けたことは言うまでもない。
私情を叩き潰して信賞必罰の掟を全軍に知らしめる厳格な法の番人・諸葛亮――人々はいたましさと清冽な涙を彼に見る。
諸葛亮は確かに泣いた。
親しかった馬良の弟だし、諸葛亮がとりわけ目をかけていた者であっただけに、馬謖を助命できなかったのは悲しい。
だがそれ以上に諸葛亮の頬を流れるのは、己の不明に対する悔し涙であった。
劉備が臨終の際に残していた忠告を思い起こすと、ただ口惜しさがこみあげてくる。
「馬謖は、言葉が実質以上に先行するから、重要な仕事をさせてはいけない」
劉備は馬謖が無能であるとは言っていなかった。
実際、南方征討戦の折に彼らの心を攻めるのが上策であると指摘したのは、誰あろう馬謖であった。諸葛亮は彼の言葉を容れて成功を収めたのである。
結局のところ、すべては馬謖の用い方を誤った己の罪といえる。
どう見ても己より賢いとは言いがたかったあの劉備が過たず見抜いていたことを、この己は見過ごしていた。その事実を反芻するにつけ、涙が止まらない。
諸葛亮はみずから願い出て、街亭の責を負い三階級を落とした。
蜀漢の誰もが今や彼ひとりに頼り切っていたので、彼をなじる者はいない。
まして彼に赦しの言葉を与えてくれる者など、求めえようはずもない。
己の心の声への返答に窮した絶体絶命の彼を救ってくれる者も、今となっては存在するはずがなかった。
今となっては?
では、以前には彼を赦す者が、彼を救う者が存在していたのか?
諸葛亮がふと思い出したのは、どういうわけかあの劉備のことだった。
そういえば劉備が死んでからしばらくの間、諸葛亮はよく彼の夢を見た。
夢に出てくる場面は、決まって劉備が諸葛亮の草庵を訪ねるところだった。
諸葛亮が劉禅を守って日々忙殺されていくうち、その夢はまず音をなくし、次にだんだんと短くなっていき、いつしか消えた。
『三顧の礼』については当時すでに蜀漢の人口に膾炙し、虚実のおぼつかない挿話まで豊富に付け加えられていたが、実際に劉備とどのような問答をしたのか諸葛亮はほとんど覚えていなかった。
巷にあふれる話によると、諸葛亮はそこで天下三分の計を説いたという。
そういえば、そのような話はしたかもしれない。
しかしあの時、天下などよりもっと重要な何かについて語らなかったか?
己の内なる声に押し潰されかけていた諸葛亮は、ひとまず他のことを考えようと思い立ち、あの草庵の記憶を掘り起こすのに集中した。
――おぬしは難しいことをいろいろ知っているわりに、簡単なところでつまずくのう。
ふいに間の抜けた声の断片が諸葛亮の脳裏に蘇った。
そう、小首をかしげながら諸葛亮の「説三分」を聞いていた劉備は、飽きたのかふいに別の話題をもちだしてきたのだった。
「ところで、おぬしはなぜこんなところに引きこもっておるのだ? 曹操のところにでも行けば、いくらでも仕事があるだろうに」
それまでよどみなく国家論をまくしたてていた諸葛亮は、思わずぎくりとして黙り込んだ。
劉備が押しかけてきたのは孟公威と別れてまだ間もない時期だったので、彼は学友の別れ際の表情を反芻しては思考の波に揺られる日々を送っていたのだった。
「何だ、自分でも分からぬのか? おぬしは難しいことをいろいろ知っているわりに、簡単なところでつまずくのう」
劉備はさらに首を傾けて腕組みしていたが、やがてぽんと手を打った。
「そうか、おぬしは目立ちたがりなのだな」
「……は?」
諸葛亮は思わず目を点にしたが、劉備はひとり納得してしきりに首を上下させている。
「確かに曹操はあやつ本人が目立ちすぎだからのう。どうだ、この地味男・劉備についてこぬか。わしのもとでなら大いに目立てるぞ」
諸葛亮は心底呆れた。
いくら若造相手だからとはいえ、もう少しましな口説き方があるだろう。
どことなく間延びした空気がふたりの間に流れた。
「……あのですね、劉皇叔」
「まあまあ、難しいことは言うでない。目立ちたいのであろう? それでよいではないか」
感銘も何もあったものではなかったが、気がつけば諸葛亮ははいと言っていた。
あの弛緩した雰囲気を思い出した諸葛亮は、いつしか心の呪縛から解放されていた。
本当に民を第一に思うのであれば、数多ある文官のひとりとして曹操に仕えるべきだったのかもしれない。
しかし、たとえ結果として世を乱し民を苦しめることになろうとも、偽らざる魂の願い、建前や正論を無言の内にも振りかざす卑小な己の底に眠る本心は――
将星になりたい。
ただ、それだけのこと。
――それでよいではないか。
それは絶えて久しい赦しの言葉、救いの言葉であった。
諸葛亮は夜明けまで泣いて泣いて泣いた。
建興十二(234)年陰暦八月、蜀漢丞相の諸葛亮は死んだ。
旧友の死を伝え聞いた孟公威が夜空を仰ぎ見ると、北斗七星が秋風に吹かれちらちらと瞬いていた。
孟公威はそのうちのひとつに目をやった。
――孔明、決して沈むことのないあの星こそ、きみの将星にふさわしい。
建安年間の初期、諸葛亮は荊州に住み、石広元・徐元直・孟公威らとともに遊学していた頃、
「きみたちは仕官すればきっと刺史か郡守にまで昇ることができるだろう」
と友人三人を評したことがある。彼自身について問われたとき、彼は微笑して黙したまま語らなかった。
そして黄初年間、確かに石広元は曹魏に仕官して郡守・典農校尉を歴任し、徐元直もまた劉備と別れて中原に行き右中郎将・御史中丞になった。孟公威も彼らと同じ主の禄を食み、冒頭で諸葛亮が伝え聞いたような名声を得るに至ったのだった。
孟公威は遠い日に思いを馳せた。
あの頃は、己を見下しているような、いやまるで相手にしていない諸葛亮の態度に、よく腹を立てたものだった。なまじ己が何かと彼に敵わないことを重々承知していたから、なおのことやるせない。そんなとき孟公威は、中原に出れば彼とて高慢な鼻をへし折られることだろう、そう考えて己を慰めた。
後に諸葛亮が劉備に仕えたと聞き、曹魏に仕えて頭角を現す自信がなかったのではないかなどと邪推したりもした。
いずれにしても、あの秘密主義な男の心を推し量るには、孟公威の得た情報はあまりに少なすぎた。
そして一国の丞相として世を去り、旧友が遺したのはただ不朽の名だけだった。
やはり敵わない。
孟公威はひとり苦笑いしたが、もはや故人に対する心のわだかまりはかけらもない。
――この孟建の名など、すぐに誰もが忘れよう。
それでよいのだ。官吏は民の生活を守るためのもの、名も顔も要りはしない。
――だが孔明、きみは違う。
きみの生きざまは蜀漢の民の心となった。
百年の後、千年の後までも、きみの名は天下に鳴り響くだろう。
いつかきみを模った将棋の駒で遊戯に打ち興じる若者たちも出てくるかもしれない。
我々が荊州で昔の英雄たちを酒の肴にしたように。
多くの人がきみを心のどこかに携えて、その先の道を歩むだろう。
――悠久の時とともに歩み久遠の彼方を照らす、輝ける将星よ。
わたしはきみの友であったことを誇りに思う。