*** 花 ***
Ⅰ
姫君にかけられた眠りの呪いを解くべく
森へと挑んだ騎士がいた
幾日も騎士は馬を駆り
ようやく姫君の許へたどりついた
清らかに眠り続ける美しい姫君の呪いを解くのは
姫君を愛する者の接吻だけ
騎士は姫君に唇を寄せたが
姫君の髪にからむ蔦の棘に指を刺され
姫君が目覚めると同時に
その傍らに倒れた
Ⅱ
事態を知った姫君は
騎士に感謝をしたものの
姫君が眠りながら心に想っていたのは
気高く麗しい隣国の王子
穏やかに眠り続ける凛々しい騎士の呪いを解くのは
騎士を愛する者の接吻だけ
姫君は主を失った騎馬に語りかける
『許しておくれ わたくしでは
お前の主を目覚めさせることができない
どうかわたくしをお城へ連れて行っておくれ
お前の主を想う人を探し出し
ここへ連れてきましょう』
騎馬は往路の大冒険で 既に疲れきっていたが
承知して姫君を乗せると 一度だけ眠る主を振り返り
大地を蹴って険しい復路を駆けた
Ⅲ
姫君はお城へたどり着くと すぐ王様に騎士の話をした
『案ずるな姫よ あれは国一番の勇者
心寄せる貴婦人は多い』
王様の言う通り 騎士に憧れる者はたくさんいたが
その旅の困難さを聞き知り 誰もが二の足を踏んだ
姫君は遠くで眠り続ける騎士を不憫に思ったが
報せを受けてやってきた隣国の王子から結婚を申し込まれ
幸せのあまり すぐにそのことを忘れてしまった
王様も国の戦力として騎士の行方を心に懸けていたが
婚姻で隣国との平和が約束され
次第に騎士救出の熱意を失った
Ⅳ
国中が幸せと喜びに包まれる中で
主を失った騎馬は ただひとり悲しみに暮れた
姫君を無事連れ戻った騎馬は 手厚い扱いを受けていた
厩で繋がれることもなく 上等なまぐさと薔薇水を与えられ
それでも騎馬がただ追うのは
優しい主と野を駆けた 辛く幸せな記憶
泣いて 泣いて 泣いて
痩せ細った騎馬は
ある日ついに決意して お城を出ると
駆けて 駆けて 駆けて
森の奥まで戻ってきた
Ⅴ
眠れる騎士 我が主よ
いかにあなたを想おうと
四つ足 獣の 我が身では
呪いを解くのも叶わない
夢の世界へ伴をしたいが
四つ足 獣の 我が身では
呪いの棘さえ届かない
眠れる騎士 我が主よ
この身はいつか朽ちるとも
お傍に在ること許し給え
Ⅵ
幾千の時 幾万の時が流れ
騎馬のむくろには いつか花が咲いた
花はやがて種子をつくり
緩やかな風に乗って
騎士の唇へと降り立った
騎士はゆっくりと目を開き
種子を指先でそっとつまむと
そのまま静かに涙した
傍らに咲く花となった騎馬に
騎士は接吻を与えたが
花は優しく揺れるだけ
騎士は種子を大切に懐へしまうと
長い長い道を歩き
お城でも 王様から預かっていた所領でもなく
故郷へたどり着いて その種子を土にまいた