*** 花 ***



姫君にかけられた眠りの呪いを解くべく
森へと挑んだ騎士がいた

幾日も騎士は馬を駆り
ようやく姫君の許へたどりついた

清らかに眠り続ける美しい姫君の呪いを解くのは
姫君を愛する者の接吻だけ

騎士は姫君に唇を寄せたが
姫君の髪にからむ蔦の棘に指を刺され
姫君が目覚めると同時に
その傍らに倒れた



事態を知った姫君は
騎士に感謝をしたものの
姫君が眠りながら心に想っていたのは
気高く麗しい隣国の王子

穏やかに眠り続ける凛々しい騎士の呪いを解くのは
騎士を愛する者の接吻だけ

姫君は主を失った騎馬に語りかける

『許しておくれ わたくしでは
お前の主を目覚めさせることができない

どうかわたくしをお城へ連れて行っておくれ
お前の主を想う人を探し出し
ここへ連れてきましょう』

騎馬は往路の大冒険で 既に疲れきっていたが
承知して姫君を乗せると 一度だけ眠る主を振り返り
大地を蹴って険しい復路を駆けた



姫君はお城へたどり着くと すぐ王様に騎士の話をした

『案ずるな姫よ あれは国一番の勇者
心寄せる貴婦人は多い』

王様の言う通り 騎士に憧れる者はたくさんいたが
その旅の困難さを聞き知り 誰もが二の足を踏んだ

姫君は遠くで眠り続ける騎士を不憫に思ったが
報せを受けてやってきた隣国の王子から結婚を申し込まれ
幸せのあまり すぐにそのことを忘れてしまった

王様も国の戦力として騎士の行方を心に懸けていたが
婚姻で隣国との平和が約束され
次第に騎士救出の熱意を失った



国中が幸せと喜びに包まれる中で
主を失った騎馬は ただひとり悲しみに暮れた

姫君を無事連れ戻った騎馬は 手厚い扱いを受けていた
厩で繋がれることもなく 上等なまぐさと薔薇水を与えられ

それでも騎馬がただ追うのは
優しい主と野を駆けた 辛く幸せな記憶

泣いて 泣いて 泣いて
痩せ細った騎馬は
ある日ついに決意して お城を出ると
駆けて 駆けて 駆けて
森の奥まで戻ってきた



眠れる騎士 我が主よ

いかにあなたを想おうと
四つ足 獣の 我が身では
呪いを解くのも叶わない

夢の世界へ伴をしたいが
四つ足 獣の 我が身では
呪いの棘さえ届かない

眠れる騎士 我が主よ

この身はいつか朽ちるとも
お傍に在ること許し給え



幾千の時 幾万の時が流れ
騎馬のむくろには いつか花が咲いた

花はやがて種子をつくり
緩やかな風に乗って
騎士の唇へと降り立った

騎士はゆっくりと目を開き
種子を指先でそっとつまむと
そのまま静かに涙した

傍らに咲く花となった騎馬に
騎士は接吻を与えたが
花は優しく揺れるだけ

騎士は種子を大切に懐へしまうと
長い長い道を歩き
お城でも 王様から預かっていた所領でもなく
故郷へたどり着いて その種子を土にまいた


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