*** 心琴魂笛 ***


 淮南の袁術には娘がいた。
 少年孫策が父親を失って袁術に身を寄せたとき、袁術は彼を非常に気に入り、我が子でないことをひどく残念がった。それほどの惚れこみようだったから、彼が大切な娘を孫策に目通りさせたのも不思議ではない。
 少年は時満たざるがゆえに大志をひた隠しにし、袁術に節を屈するふりをしていたが、それでも生命と目の輝きだけはどうにも偽れない。羽毛を扱うように育てられ世間をまるで知らない少女が彼に心惹かれるのも、無理のないことである。

 そして今、群雄に父親を破られ、その残存勢力に身を寄せていた彼女は、逃げた先を孫策に潰されて、ついにその捕虜となった。
 雄雄しく成長した青年を前に、乙女が憎しみよりも恋しさに心を傾けたからとて、誰にそれを責めることができるだろう。

 しかし孫策は袁氏をちらと見るや、そっけなく言った。
「権にやろう」
 彼女を見ると、袁術に従っていた頃の屈辱感を思い出す。
 加えて彼には美女のほまれ高い大喬がすでにかしずいている。とはいえ袁氏は名門の娘であるから、これを邪険にするわけにもいかない。孫策の考えは常に明快だった。


 涙も出ない。
 袁氏は砕けた心の残骸の中にぼんやりとたたずみながら時を過ごした。
 それまでの人生で築き上げてきたすべてを失ってしまった。
 秘めた想いさえも。
(わたくしはなぜ生まれてきたのでしょう。何もかもが無に帰すのであれば、命など最初からないも同然ではありませぬか)
 袁氏を譲り受けた孫権は、どうにも痛ましくてそのような様子を見ていられない。
(船遊びをすれば心も多少は晴れるだろうか)
 ある日孫権はそう思い立ち、兄と周瑜の両夫妻を招いた。
 二人は多忙でなかなか私的に会う機会が取れないので、その晩は久々に語り合い美酒を痛飲した。姉妹である彼らの妻どうしも相伴にあずかり、ほろ酔い加減で談笑に花を咲かせている。
 一同すっかりできあがったところで、孫権は奥に控えていた袁氏に声をかけた。彼は最初から袁氏を臨席させるつもりだったのだが、彼女は琴を一曲奏でるだけならと承知したので、やむをえなかった。周瑜は音楽に細かいから、しらふで聴かれると、たしなむ程度の袁氏の腕では場を壊しかねない。ここでの登場となったのも、孫権のそうした配慮があってのことだった。

 袁氏は黙したまま礼をして演奏を始めた。
 少し離れた場所には、すでにかなり酔った孫策がいる。彼は袁氏を見やると、かたわらの孫権に何か言い、上機嫌で彼をこづいた。孫策の隣では佳人が一緒に笑っている。
 そのような情景を目にしたとき、袁氏は強い孤独を感じた。
 砕けていた心はさらに亀裂を生じ、ついには砂のようになった。
 もはや彼女と共にあるのは、みずからの紡ぎだす琴の音色だけだった。
(ならば今宵この一曲は、ただわたくしだけのために奏でましょう。
 ――それがわたくしの生きた証となるように)
 砂となった心が、ゆっくりとうごめき始めた。
 緩やかに流れていた袁氏の旋律が、突如ぴんと張った糸のように鋭くなった。
 すでにしたたかに酔っていたはずの周瑜が、それを耳にして彼女を振り返った。
 袁氏は何かに憑かれたかのように激しく琴をかき鳴らした。ところどころで音が乱れ、途中指と爪の間から血がにじんできたが、構わず彼女は心のうねりに身を任せた。
 二人の女性は思わずそっと顔を見合わせたが、孫策は面白そうに袁氏を眺めている。
 曲の終わり頃になると、袁氏の調べは、その道に心得のない孫権にさえはっきりとわかるほど、ひどいものになっていた。おそるおそる目をやると、周瑜は手にしていた杯を置いて、じっと袁氏を見ている。孫権は内心頭を抱える思いだった。
 しかし一曲を終えた後、袁氏は孫策に向かって誇り高く微笑んでみせた。
「佳い女だな。惜しいことをした」
 孫策は冗談か本気かわからない口調で横にいる妻に言ったが、それはもはや袁氏にはどうでもよいことだった。

 その夜を境に、袁氏から陰鬱な雰囲気が消えた。彼女は何か大きなことを成し終えた後のようにゆったりとし、穏やかな優しさをもって孫権に接するようになった。孫権は首をかしげながらも、喜ばしい結果に落ち着いたので深く考えないことにした。


 周瑜が袁氏と再会したのは、実にそれから十年ほど後のことであった。
 彼は病の床にあった。
 孫策はすでに世を去って久しい。周瑜は義兄の跡を継いだ孫権のもとで危機の連続の中を果敢に戦い抜き、その功は諸将に並びないものとなっていた。
 しかし、いまだ大業成らずして、彼もまた鬼籍に入ろうとしている。
 後事は魯粛に頼んでおいた。幸いにも若い主君は英明だし、忠臣も多い。難しい局面でも彼らならば乗り切ってくれるだろう。
 問題は国家の大事より、むしろ彼自身にあった。
(わたしは何ひとつ成し得ぬまま朽ち果てる)
 ある日突然凶刃に倒れ、その日のうちに息を引き取った孫策を、正直うらやましく思う。
 志半ばで死ぬ己の生の意味を問うゆとりなど、なかったであろうから。
 じわじわと忍び寄る永遠の闇を感じながら、少しずつ魂の磨耗を覚える日々。
 けだるい敗北感に包まれてまどろみかけたそのとき、ふと周瑜は一度しか聴いたことのない袁氏の旋律を思い出した。
(失礼だが音色には響きがまるでなかったし、指遣いも危なげで稚拙だった)
 しかし不思議と魂をわしづかみにされた。
 まるで、あの一曲を奏でるだけのために生まれてきたかのような、壮絶な演奏だった。
 死ぬ日のことなど考えたこともなかった頃だったから、当時はただ圧倒された。
 しかし今なら、その調べの意味をはっきりと理解できる。

 ほどなく孫権のもとへ周瑜の使者が急ぎ駆けつけ、袁氏に会わせてほしいという彼の言葉を伝えた。相手は主君の後宮にいる婦人である。礼儀正しい周瑜にしては、あまりに非常識な発言であった。しかし孫権は周瑜を兄のように敬っていたし、また彼の人となりを知ってもいたので、異例ながら許可を出した。


 袁氏が巴丘に到着したとき、周瑜はすでにいつ死んでもおかしくないほどに衰弱していた。
 多くを伝言されなかったにもかかわらず、袁氏は琴を持参していた。
 周瑜は莞爾として笑うと、かたわらに控える妻に声をかけた。
「わたしの笛を持ってきてくれ」
 もはや食事も満足にできない病人が笛を吹くなど、もってのほかである。しかし妻は再度促されて、やむなく夫の言葉に従った。
 袁氏は周瑜に無言でうなずくと、奔流のごとく奏楽を始めた。十年前とまったく変わらない調子である。
 周瑜は心の震えを感じた。
(わたしはこの調べを紡ぐために生を享けたのだ。――そう思うなら、悔いはない)
 周瑜は笛を口元に運ぶと、袁氏の音色に合わせて吹き始めた。
 ときに咳き込み、血を吐きながら、音がはずれて暴れても、ただ吹き続けた。
「お願い、もうやめて」
 妻がすがりついたが、周瑜の耳にその声は届かない。
 周瑜と袁氏は不調和な騒音を発しながら、音を超えた至上の調べに恍惚としていた。
 それは同じ痛みを知る者だけが分かち合うことのできる感覚だった。
 泣きながら己を見つめている愛しい妻でさえ、こちら側に来ることはできない。
 絶望に魂を打ち砕かれ、己が生の意味を見失い、それでも粉々の魂をかき集めて、そこに何らかの形を見ようとする者でなければ、達することのできない境地だった。


 周瑜はほどなく死んだ。
 それからさらに時を経た後、袁氏は孫権の夫人の一人に讒言されて命を絶たれた。

 人は彼らの死に悲劇の風を感じるかもしれない。
 むろん二人はみずから死を望みなどしなかった。

 しかし、二人が生を全うできなかったと、どうして言えるだろうか?


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