*** 太陽泥棒 ***
ある日、太陽が盗まれた。
当局は太陽泥棒対策本部を設置した。盗まれたものがものなだけにどこの管轄にしていいのか迷うところなので、政府筋と警察筋の関係者が半々という人員構成になっている。
「何という非常識な犯罪だ」
本部長はぷりぷりしながら言った。
「容疑者は明日が来ると死んでしまう男とのことです。現在、太陽を連れて東へと逃亡中です」
若手の捜査官が説明した。
「生きるために明日が来るのを妨害しようという魂胆か。身勝手なやつだ」
「このままでは今日が続いてしまいます。早々に男を逮捕し太陽を取り戻さねば」
ところが世論は意外なものだった。
「明日が来なければ、ずっと働かなくていいぞ」
日々の労働に疲れていたサラリーマンの男性は喜んだ。
「明日が来なければ、ずっと年を取らなくていいんだ」
おばさんになることを恐れる女子高生はそう思った。
「明日が来なければ、ずっと宿題をやらなくていいや」
塾の勉強に追われる小学生も嬉しい。
彼らはこぞって太陽泥棒を支持したのである。
「太陽は誰のものでもないのだから、これを盗んだからといって犯罪者呼ばわりするのは間違っている」
太陽泥棒擁護のためそんな論陣を張る者が出てきた。近代法治国家において、法的に明確な位置を与えられていない太陽について扱うのは、確かに不都合が多い。当局は男の行方を追いながらも、急ぎ太陽に関する法案を作成して臨時国会を開会し承認を求めた。しかし世論は圧倒的に男の味方で、男を犯罪者に仕立て上げるような内容を含む太陽の規定を快しとしない。議員たちも世論を敵に回すのは得策でないと心得ており、なかなか法案は通らない。
「逮捕したら明日が来て男は死んでしまう。これは公の殺人行為であり、盗みよりも重罪だ」
さらにそう叫ぶ人道主義者もあった。こちらも盛り上がって喧々囂々と意見が交わされ、しまいには死刑の是非について問う大議論にまで発展した。
明日が来ないので、誰もが暇だったのである。
太陽泥棒対策本部は世論の手前「明日対策本部」という、当局筋の臨時設置機関にしてはやや曖昧で浪漫の香り漂う名称に姿を変え、太陽の捜索を続けていた。
ところが本部長のもとに、またも心を悩ませる報告が届いた。
事件発生当時の状況から、どうやら太陽が男に自発的についていったらしいという線が濃厚になってきたのである。
男が泥棒でないのだとすれば、このままでは仮に太陽に関する法案が通ったとしても、男の身柄を確保する法的根拠がなくなってしまう。
「なぜなんだ」
本部長は頭を抱えた。
今日が続いてしばらくすると、人々は重要なことに気づき始めた。
「明日が来なければ、ずっと給料をもらえないぞ」
「明日が来なければ、ずっと結婚できないんだ」
「明日が来なければ、ずっと学校で友達と遊べないや」
かくして世論は即刻太陽泥棒逮捕抹殺すべしというものに急変した。当局は再度臨時国会を開いて太陽に関する法案を審議にかけようとしたが、そんなまどろっこしいことをしている場合かという抗議の声が相次いだ。
「太陽はみんなのものなのに、これをひとりで独占しようというのは間違っている」
「相手はもともと放っておいても死ぬはずの人間だったのだし、当局は異常な状態を正常に戻そうとしているだけなのだから、公の殺人行為にはならない」
法治主義も人道主義も消し飛んだ。
ついに当局は「その道に詳しい」暗殺者を雇った。
「それで、どうやって太陽を取り戻すつもりかね」
うさんくさげに尋ねた本部長に、暗殺者は愛想のかけらもない顔で言った。
「昨日の明後日は明日だ」
「え?」
「月を探してくる」
小首をかしげる本部長の横で、若手の捜査官がぽんと手を打った。
「なるほど。相手が太陽を連れて東へと逃げるなら、こちらは月を連れて相手の二倍の速さで西へ向かえばいい、ということですか」
暗殺者はうなずいた。
「しかし、そんなことができるのかね。第一昼間明るくて見えないだけで、月は一日中空にあるものじゃないか。月が出るから夜が来るというわけじゃないだろう」
「それならあんた、半径六九万六〇〇〇キロメートル、質量一・九八九×一〇の三〇乗キログラム、表面温度六〇〇〇度の恒星が持ち逃げされているという事態を、科学的に納得のいくよう説明できるか」
「そ、それは」
返答に窮した本部長を一瞥すると、暗殺者は無言できびすを返した。
冗談じゃない、と暗殺者は思った。
そもそも暗殺者の本業は宇宙物理学者なのである。むろん人を殺したことなどない。
太陽に詳しいからという理由で研究室から引っ張り出され今回の役目を押しつけられたわけだが、彼自身が本部長に告げたように、事態はとっくに科学の枠を超えている。どうにもお手上げなので、暗殺者はもっともそうな理由をつけてどこか海外へ飛び、ほとぼりが冷めるまで時間をつぶすつもりだった。
それにしても、明日が来ると死んでしまう男というのは何者なのだろう?
何か重い病気の末期患者だろうか。しかしそれなら逃亡を続けられるはずがない。
やれやれ、と暗殺者はかぶりを振った。
「何もかもがさっぱりわからん。神様にでも祈りたい気分だよ」
ちょうど神社の近くを通りかかったので、暗殺者はその境内に足を向けた。
長らく手を入れられていないらしく、雑草に埋もれるようにして、崩れかかった拝殿があった。暗殺者は境内にある大きなクスノキに寄りかかってその拝殿を眺めやった。
少しすると、雑草をかき分け、お参りの帰りらしい老夫婦が連れ立ってこちらに向かいやってきた。
「明日が来るように、と?」
暗殺者が穏やかに会釈して声をかけると、老夫婦もゆっくりと頭を下げて応じた。
「ええ、明日は息子夫婦が孫を連れて遊びに来るんです。それに……」
夫のほうが、拝殿を振り返りながら言った。
「このお社が明日取り壊されてしまうというので、ご挨拶も兼ねてお参りしてきました」
暗殺者は境内の片隅にブルドーザーが止めてあるのを見つけた。
誰もいなくなった境内でしばらくそのままクスノキにもたれているうち、暗殺者の脳裏に妙な想像が広がっていた。
明日が来たら死んでしまう男。
暗殺者はまさかと思いながらも、ついに拝殿へと向かった。
神様というのがどういうものなのか、暗殺者は知らない。
大自然の仕組みを擬人化しているだけかもしれないし、本当に人間でない何かが地球上のあらゆるものに対して采配を振るっているのかもしれない。
ただもし神様に死ぬことがあるとすれば、それは神様を信じる人間がいなくなった時、誰もが神様を無視するようになった時ではないか、と暗殺者はおぼろげに思った。
太陽は自発的に男についていったらしい。
男は、神様は死ぬことをいやがっているのだろうか?
明日が来ることを神様に祈っている人がいるのに?
「そんなはずはない」
暗殺者はつぶやいた。
そして彼も祈ってみた。
明日が来て、先ほど出会った老夫婦が孫を連れた息子夫婦と会えるように、と。
一陣の風が吹いて、辺りの雑草をひとなでした。
暗殺者はふとコートのポケットに手をやった。
そこには月が入っていた。
暗殺者は西へ向かうことをせず、月を片手にそのままそこで待った。
やがて向こうから男がやってきた。
暗殺者は男の前に進み出ると、うやうやしく礼をして月を差し出した。
「やあ、ご苦労さん」
男は気さくに挨拶すると、右手で月をつまみあげ、左手でポケットから太陽を取り出した。
朝焼けと夕焼けが一緒になったような不思議な光が辺りを包んだ。
「こんにちは」
「こんばんは」
太陽と月は男の両手からふわふわと浮かび上がりながら、互いに挨拶した。
「さあ行くがいい。お天道さんにお月さん、世界をよろしく頼むよ」
「でも神様、明日が来たらお社が取り壊されてしまいます」
太陽が悲しそうに言うと、男は笑った。
「気持ちは嬉しいんだがお天道さんよ、明日が来るよう祈られちゃ逃げるわけにもいかなくなるさ。昔は天変地異が起こると誰もが真っ先に俺のことを思ったものだが、最近ではそういうのは少数派のようだな。まあいいさ、俺は天上で寝ていることにするよ」
「明日を来させたという成功報酬として、本部長と掛け合いお社を残させることもできるとは思いますが」
暗殺者が遠慮がちに申し出ると、男は笑顔で首を横に振った。
「社は入れ物だからな、あってもまあ文句は言わないが、それだけではどうにもならない。また人が俺をこういう形で必要とするようになったら、誰かが新しい社を建てるさ」
男はクスノキの根元に座り、その幹に寄りかかって目を閉じた。
暗殺者は空を見上げた。太陽と月はあるべき場所へと昇り、沈んでいく。
それと共に男の姿は徐々に透き通っていき、やがて見えなくなった。
かくして明日はやってきた。