般若心経を覚えたぞ!

集中力が特に強い人がいるらしい。観自在菩薩はその一人かもしれない。

3.強い集中力


「般若心経」を暗記しながら、私はニールス・ボーアという物理学者を思い出していた。
彼は1885年生まれのデンマーク人で、1922年、「原子の構造とその放射に関する研究」によって、ノーベル物理学賞を受けた。 ニュートンやアインシュタインという天才物理学者は独りで物理学を進めたが、ボーアは多くの人との対話によって物理学を進めた。 所長をつとめるコペンハーゲン大学ボーア研究所に、彼は奨学金を用意して、さまざまな国籍の若い将来性ある物理学徒を招き、研究の場を提供した。 個性の強い彼らは、国際色豊かな、自由な雰囲気のなかで、研究に取り組んだ。 また新進気鋭の科学者たちが開放的なボーア研究所を訪問し、集中講義をしたり、ボーアと議論したりした。ボーア研究所は20世紀物理学のメッカであり、 量子力学コペンハーゲン学派の根拠地であった。日本からは仁科芳雄博士が相当期間ボーア研究所に滞在した。

 ウィーン生まれのユダヤ人オットー・ロベルト・フリッシュが、悪名高きヒトラーの「人種法」によって、ハンブルグ大学からロンドン大学へ亡命したのは 1933年10月であった。翌年、フリッシュはボーアにスカウトされ、コペンハーゲンのボーア研究所に姿を現した。彼はつぎのように語っている。

 夕方、私たちはよく宮殿のようなボーアの豪邸に行き、夕食を振る舞ってもらった。食事が終わると私たちのある者はボーアを取り囲み、 ある者は彼の足もとの床に座って、まず彼がパイプにタバコの葉を詰めるのを見つめ、それから彼の語ることに耳を傾けた。 彼の声はデンマーク・アクセントのソフトな声であり、私たちは彼が今英語を話しているのか、ドイツ語を話しているのか、 必ずしもさだかでなかった。 私はこの場にソクラテスが生き返ったと感じた。彼は寛容なやり方で私たちに努力目標を投げかけ、より高度な面にめいめいの議論を高め、 自分自身持っているとは自覚していない英知や、当然のこと持っていなかった英知を私たちから引き出した。 私たちの会話は宗教から遺伝まで、政治から現代美術までに及んだ。私はボーアがいつも正しかったと言うつもりはないが、 彼は常に思索を刺激し、決して平凡ではなかった。私はプラトン的な対話の精神に興奮しながらコペンハーゲンの大通りを自転車を駆り家路についた。 (注1)

 何と観自在菩薩が舎利子たちに語りかける情景とよく似ているではないか!

 フリッシュはボーアの超人的な集中力を見た。1935年のある日、ボーア研究所におけるセミナーで原子核について討論していた時、 ボーアは突然青ざめて黙り込み数秒間放心状態になったのである。その間に彼は、硬いと考えられる原子核がそうではなく、 ある場合表面張力によってかろうじて形を保つ水滴のようであるというインスピレーション、すなわち複合核というアイデアを得たのであった。 フリッシュは同僚と共同で金に中性子を撃ち込む実験を行い、複合核のアイデアが正しいことを確かめた。 実験に使用した金はドイツ人物理学者マックス・フォン・ラウエがボーアに保管を依頼したノーベル賞のメダルであったといわれている。
 ボーアの友人である物理学者、ジェームズ・フランクも、ボーアの強い集中力についてつぎのように語っている。

 ボーアは完全に生気がなくなってるのです。少し間をおいて、側にいた人は突然、彼の顔が紅潮し、言葉を取り戻した光景を目にします。 このような集中力には驚くばかりです。彼はうつろな顔になることができました。すべてのもの、すべての動きが止まるのです。 それは集中力の重要な点です。ニュートンも確か同じであったと思います。(注2)

 私は「般若心経」を暗記しながら、ボーアが超人的集中力の持ち主であったことをを思いだした。 ニュートンの集中力については、フランク以外にも、湯川博士が「天才の世界」という著書のなかで同じように触れておられる。

 ボーアは生来の強い集中力で自然界に潜む秘密を解くことがあった。観自在菩薩は真言による強い集中力で人間の身体と心は「空」であると説いた。 般若波羅蜜多の無上で、無比の真言はすべての苦しみを鎮めることができる。このように「般若心経」は述べている。 私自身、262文字を一か月かかって覚える程度の集中力を備えているにすぎない。「般若心経」で述べている真言をいくら唱えたところで、 強い集中力を身につける可能性は残念ながらないような気がする。

なお、核分裂については「二億電子ボルト」をご覧下さい。

注1:Otto Frisch;"What little I remember" p102
注2:Abraham Pais;"Neiles Bohr's Times,in Physics,Philosophy,and Policy " p4

 

目 次
蛇 足

 フリッシュの叔母リーゼ・マイトナーもまた物理学者であった。ベルリン大学の員外教授であったが、「人種法」により教授職を追われ、 ベルリン・ダーレムのKWI化学研究所で化学者オットー・ハーンと天然ウランに中性子を撃ち込み超ウラン元素を作り出す研究をしていた。1938年、オーストリア併合に伴い、 彼女はドイツ国籍となり、難を避けて、ストックホルムへ亡命した。

 この年、彼女はクリスマス休暇を、スウェーデンの田舎町クングエルブにおいて、甥のフリッシュとともに過ごした。 叔母と甥はハーンが寄こした奇妙な実験結果の手紙を検討して、ボーアの複合核を根拠に、ウラン原子核が分裂し、「二億電子ボルト」のエネルギーを放出することを見いだした。

 ボーアはウラン核分裂は自然界に多量に存在するウラン238ではなく、極く、極く微量しか存在しないウラン235によると推量した。 したがって、巨大な爆発装置は開発可能だが、小型、運搬可能な原爆の開発は無理だと主張した。

 第二次世界大戦が始まった1939年9月、フリッシュは英国バーミンガムにいた。彼はボーアの言うウラン235のみを約1kg集めるならば、 原爆の製造は可能だと気づき、具体的な原爆製造法を示した「フリッシュ・パイエルス覚え書き」を英政府あて提出した。

 日本軍部はこのことを知ることなく、戦争への道を突き進んだ。そして悲しいかな、日本は世界唯一の原爆被爆国となり、多くの尊い命が失われた。